2015年1月18日

何かあるとヒットラー

一寸古い記事ですが、Business Media誠の窪田順生氏のコラムから、TBSサンデーモーニングを元にしたメディアの責任について。私は、当日の番組はもとより、もう随分長いことこのサンモニは見ていないのでその内容に関してはあれこれ言えないけれど、この番組で使用したという「ヒットラー」に関しては、最近色々登場しますよね。一番記憶に残っているのは、サザンオールスターズの桑田氏が、ちょび髭を付けて政権批判と思われるような替え歌を歌ったと言う事で話題になったけれど、それに関しては「ヒットラーでは無く、単なるギャグ」みたいな事を言っています。本当に本人の意図に反して世間で話題なったことを謝罪したのか、色々と取り上げられて本来の目的は達したと判断して頃合いと思って謝罪したのか分からないけれど、自分の主張が通用しないというのは、何れしても演者側の失敗ですよね。

メディアの傾向として、何か悪いことの例えに良くこのヒットラーを取り上げることが多いように感じます。確かに、多くの戦争犯罪をしてきた戦争犯罪人であることは確かだと思うけれど、以前麻生副総理だったかな、憲法改正に関してナチスの例を出したところ、各メディアはこぞって「ナチスのような独裁を求めている」的論調を展開したけれど、実際に話した内容を見ると、言葉の足り無さは感じるけれど、正しい手順で進めたとしても根幹の国民の意識が衝動的になれば間違った結論(=ナチス)が導かれる、と言う例で言っていることが分かります。「あの手口に学んだら」というのが、やっぱり不味いですよね。「あの歴史に学んだら」とか「あの手口を教訓すべき」とか言えば、かなり印象も違ったと思うけれど。結局は、メディア・マスコミとしては、悪者としてヒットラーを出せば誰もが納得して誰もがその対象者に期待通りの「悪役」という印象が適用されると考えていることが問題のように思います。

でも、それってメディアが一番やっちゃ系無いレッテル貼り、印象操作ですよね。ただ、昔と異なるのは、仮に大手メディアがそう言う行為をしたとしても、今は個人一人一人が色々な情報に瞬時に接することが出来るので、大手メディアが配信する情報は、その内容よりも、その話題に対してのトリガーにしかなっていないこと。今回の件も、サンモニとしては現政府に対しての批判をするつもりが、逆にメディアとしての態度に疑問を投げかけられる事になって、自ら投げたブーメランが見事に自分に戻ってきてしまいました。でも、問題なのは、ブーメランが戻ってきたことに、彼ら自身は分かっていない、認識していない、理解していない事。だから、同じような事を何度も繰り返して、それ故に自分達は正しいと言う御山の大将化現象が進んでいることに気づかないわけです。それって、結局はメディア自身が「ナチスの手口を学んでいる」事にならないのだろうか。窪田氏も指摘するように、メディアとしての責任と義務なるものをもう一度考え直して欲しいですね。

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