2011年8月8日

昔はどうだったんだろうか

福島原発の事故のあった後だけに、こういう情報に興味が集まるのは仕方ないけれど、必要なときに必要な情報がネット経由で集められて再びネット経由で配信されるという今の時代にもちょっとビックリします。で、Yahooのページを見てみると、まだ観測点は少ないものの、都内にしても、地元静岡にしても、さらには被災地に近い仙台にしても、ほぼ通常値に近い値ですよね。福島の二本松だと、その3倍位ですか、今のところは。

この、放射線の話がいろいろと登場するようになって、個人的に凄く不思議なのは、自分が生まれたときはどうだったんだろうかと言うこと。私は1960年生まれで、その前後は世界各国、特にお隣の中国では核実験が何度も実行されていた頃に生まれて来ました。以前何かの番組で、原子力関係の大学の先生が説明していましたが、当時の空中放射線量は、現在(事故後)の1万倍くらいあったそうで、その時の説明では、当時はそれだけ高い状態であったけれど、世界的に、あるいは日本で異常に何か問題が発生したとか言うようなことはない、と言う説明をされていたんですが。

世界には、自然放射線量が今の日本の何倍もある地域があるそうで、そういうところでも普通に生活している人が沢山居るので、単純に値がどれだけだから危険・安全と言う話も難しいそうですけど、一番問題なのはそういう加減というか案配が分からないことなんですよね。例えば、劇薬であっても、致死量にならない微量な量であれば、直ぐに健康に何か問題が出るわけでは無い。でも、例え微量であっても、それを何年も継続して摂取していれば、やはり何か健康に問題も出るだろうし。放射能に対して、健康に影響のないレベルと言う説明を聞いても、今ひとつ釈然としない不安を感じるのは、そういう不安を何となく心の奥に持っているからでしょうね。

もう50年以上も前の話だし当時の技術も今と比べて低かっただろうから、なかなか情報量は集まらないかもしれないけれど、やはり当時のデータをもう一度掘り起こして、どれくらいのレベルの中で当時は生活をしていて、どの程度の影響があったのか、そして50年たってその間にどれくらいの変化があったのか、そういう部分を先ず明確にして欲しいですよね。そうすれば、今言われてるいろいろなデータやレベルについて、それが適切なのか、あるいは変更が必要なのか、そういう判断も出来るだろうし。「0か1か」という判断は、一見明快で正しいように思えるけれど、実は判断を放棄しているんですよね。だって、ONかOFFか、やるかやらないか、進めるか止めるか、一番両極端にある特異例の二択をするだけなんですから。それで済む話ならば良いんだろうけれど、世の中にはそうはいかない話が殆どなわけで、0と1の間のどこまで許されるのか、どこまでならリスクテイク出来るのか、どこまでなら十分な安全係数を取っていると言えるのか、そういうところまで含めて判断し決定するのが「責任者」という人のはず。あるいは、それが「リーダーシップ」のはずなんですよね。今の時代、一番それが難しい問題なのかもしれないけれど。

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