2011年6月25日

昔には戻れない

厳しい電力事情の中、暑い夏を向かえつつ今日この頃。「昔はもっと厳しかったけれど問題無く生活出来た」という話もよく聞くけれど、個人的にはちょっとそれは違うんじゃないか思っています。今住んでいる自宅は、浜松の田舎にありますが、ここ10年くらいの間にかなり開発が進み、それなりの住宅街のようになっています。自分が子供の頃は、道路に面した南側を除けば、自宅の東西と北側は田んぼか竹藪が広がるのどかな環境で、真夏であっても結構涼しい風が吹き込んできていて、それこそ扇風機が無くても何とかなった時代。だいたい、その家の前の道路にしても、最初の頃は舗装されていないような状態でしたからね(笑)。

会社の入っているビルにしても、高層ビルなので安全上の理由もありますが、窓の開閉は出来ない。それでも、最近出来たビルだから環境を意識した構造になっているので、まだ良い方かもしれませんが、少し前に出来たビルなどは、空調前提の構造だろうから大変でしょうね。以前なら、都内でも緑地や緑が多かったから、まだ何とかなったかもしれないけれど、コンクリートとアスファルトで埋まった今の東京では、簡単に節電するという事も厳しいですね。それでも、昨日会社に行った帰り、夕方地下鉄に乗ったとき、省電力で駅冷房が控えめでしたが、それ程厳しい状況ではなかったのは、やはり走っている列車の廃熱処理も進められたからのように思います。私は、まだ地下鉄に冷房が入る前から乗っているけれど、駅冷房が導入されて暑い外から地下鉄の涼しいホームに入るとホッとしたもの。でも、列車が入ってくると凄い熱気と一緒に入ってくるんですよね。一気に冷房が吹っ飛んでしまう。当時は廃熱の問題で列車にはまだ冷房が入っていない時代で、駅に止まっている間に車内に冷気を入れて次の駅まで我慢するような状態(笑)。それが、さらに冷房機の技術が進んで、狭い地下鉄の構内でも空調が使えるようになり、技術のありがたみを感じたものです。

それを「贅沢」と言われてしまうと何も言えないけれど、でもより良いより快適な生活を手に入れるために人間は仕事にしても何にしても頑張るわけですし、その目標というか目的が無くなってしまったら困ります。とは言っても、節約・節電技術が進んでいる日本でも、これはちょっと、という所があったのも事実なわけで、そういう部分を見直す機会と思うのは良いことだと思います。だから、「昔に戻る」という極論ではなく、「昔の知恵はを今に生かせばこういうことが出来る」というような考えをもっと出したいし、出して欲しいなと感じます。

例えば、ここ数年家庭菜園・プランター菜園などで、窓際に緑を作ったり、大規模な場合にはビルの屋上に緑の公園みたいなものを作ったりするけれど、 ああいう自然を取り込む姿勢というのは凄くいいんじゃないかと思います。それにしても、昔なら自然に回りに緑があったものを、わざわざ自分で作り出さないといけないわけで、それは余計な手間ではあるけれど、でも払うべき価値のあることだと思うんですよね。そういう意味での「工夫」という事を、もっと出すべきで、単純に「昔のように我慢できる」という精神論中心の話には、個人的にはちょっと賛成できないなと感じます。

同じような話で、「ヨーロッパのどこそこは、これだけ自然エネルギーを利用している」とか「これだけ少ないパワーで生活している」みたいな話も最近よく聞くけれど、そういうものって自然環境とか地勢的な理由もあるし、人口や都市の形態、あるいはそれこそ伝統と言うことまで考えないと、そういうものを取り込むことは難しいはず。単に、アウトプットが求める解に近いからあるいは理想的だから日本も真似しようという単純な発想で言われることには抵抗を感じますね。節約・省電力・自然回帰、それぞれ良いことだし前向きに考えるべき事ではあるけれど、それでもトレードオフというか、それらに費やすコストと得られるメリットをちゃんと評価して話をするべきだけど、なかなか聞いてなるほどと感じる話に出会えない。そういう意味で、単純に「昔に戻れ」と言われても、個人的には「それは」という気持ちが生まれてしまう。

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