2026年1月12日

RadikoとAudible

先日も引用した、 ReHacqの衆議院解散に関しての緊急生配信の最後に、ラジオ放送の話題がちょっと登場しました。新聞記事の欺瞞・捏造という流れから、朝日新聞(だったかな?)が同紙のコラムで、最近ラジオが復権しているみたいなことを取り上げていたけれどこれは嘘ではと言う西田亮輔教授の指摘がありました。つまり、偶々人気の出た番組とか、何かの切っ掛けに話題に上ったことはあるだろうけど「復権」と言うほどラジオ視聴は昔ほどは戻って来ていないことは事実で、それを恰もそうであるかのように記事にするのはおかしいと言う話。例の東京新聞の「一億総火の玉」コラムからの流れでした。

ラジオ放送と言えば、昔から地域の貴重な情報源として利用されてきた中波帯(600kHz~1600kHz付近)の所謂「AM放送(※最近はFMでの放送もあり)」、高音質で音楽コンテンツが多かった超短波帯(70Mhz近辺)の「FM放送」、そして短波帯(4~6MHz付近)の「短波放送」だと思いますが、最近はここにインターネット経由での再送信のradikoが加わり、さらにスマホでも視聴出来るようになってきたりして、昔と比べるとかなり手段は増えていることは事実。昔はBGM代わりに室内でもFM放送を流しっぱなしにしていたこともあるし、自動車を運転するときには、FM放送が入る範囲のドライブならFMを、ちょっと遠出をしてFM受信が出来な買ったり途切れる場合は、ほぼ全県をカバーしているAM放送に合わせるというのが普通でした。でも、最近ではラジオ内蔵のラジカセも埃を被っているし、専用チューナーをステレオ装置に接続している人もかなり減ったんじゃ無いだろうか。

ラジオ放送は減りつつあるのだと思うのですが、一方でAmazonは盛んにコンテンツの音読サービス「audible」を宣伝していて、多分利用している人も多いんでしょうね。話は違うのだけれど、書籍を音読してそれを配信するAmazonのaudibleサービスですが、アメフトを知っていると「audible/オーディブル」って、Quart Back (QB)がプレー開始直前にその内容変更を伝える暗号というかコールの意味でもあるので、反射的にちょっと違和感を感じます。閑話休題。中々読書をする時間の無いという人が、自分の都合の良いときに代わりに音読してくれる内容を聞いて、その書籍の内容を理解するというわけですが、それって本当に「読んだ」事になるのか個人的には疑問。私は子供の頃から読書が趣味というか、本を読むことくらいしか娯楽が無かった田舎育ちなので、どうしても「目で追う」ことが無いとその内容が頭に入らない。「それだと、会議の時に相手の話も頭に入らないのでは」と言われるけれど、会議の時には相手の話に集中するし、手元でメモも取るし、場合によっては質問も挟めるから別事象のことなんですよね。

ラジオ視聴の場合は、まさに「聞き流せる」ことが最大のメリットだと思っていて、これが映像だとどうしてもその絵に目が行くことで集中が途切れてしまう。運転しながらのラジオ視聴は問題無いけれど、運転しながらのテレビ視聴は安全運転違反になるのと同じで、何か作業をしながらのラジオ視聴や音楽再生は、多分脳機能を使うこと無く無意識に頭の中をそれらの音楽情報が通過しつつ最小限の情報は残してくれるのが最大の利点だと思います。一方で音読サービスのaudibleは、聞き流すだけでは何かお経を聞いているようなものなわけで、その内容を理解するためには温度に意識を幾らか振り分けないといけない。つまりその分本来するべき作業のリソースが減るわけで、そう言う意味であのサービスって本当に本好きな人なら利用しないような気がします。「音声インターフェース」は重要なものだと思う反面、音声だけで成立するサービスって何だろうかと考えてみると、同時通訳でフィルターした配信サービスはどうだろうか。例えばアメリカのラジオ放送はインターネット経由で視聴可能でも、今は英語で聞くしか無い。でも、AIとか上手く使って、その英語のDJとか会話を同時通訳で日本語の同じ様なニュアンスで視聴出来るようになったら、これってラジオの可能性をまた一つ変えるのでは。テレビの同時通訳は、映像とシンクロしないといけないのでかなり厳しいのだけれど、ラジオ放送ならばディレイ配信しても良いわけで、そうなると日本語-英語のように最後まで聞かないと翻訳できないような言語体系どうしても、凄く自然に翻訳したものを聴くことが出来る気がします。ReHacQの本筋とはかなり違うけれど、そんなことをふと感じた長時間生配信最後のパートでした。

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