立憲民主党と公明党が新党結成を発表して、これから新党名を決めるという状況の時、直前の選挙のことや、参議院や地方議員では元の党名がそのまま残ることを考慮すれば、元の政党のイメージが残る透明、例えば「立憲公明党」とか「民主公明党」とか、そんな感じの透明が有利だろうなと個人的に思っていました。ところが新党名は、元の政党名の欠片も含まれていない「中道改革連合」。ネットに流れてきた情報を見ると、公明党(と言うか、創価学会)としては、「中道」を含めるのは必須条件だったらしい。
自公政権時に、そんなに中道に確執したような事を言っていた記憶が私は余り無かったので、ちょっと違和感を感じ、まぁ緊急に作った新党だけに、やはりインパクトがあり他党との差別化のためにそういう名称にしたんだろうくらいに考えていました。ところが 、こんな書込があり「ありゃりゃ」という印象に。
中道って政治的な中立という意味かと思ってたら、がっつり池田大作の思想のことじゃん pic.twitter.com/MxRmYdmaMn
— TED TEX (@CBJimandB) January 16, 2026
つまり、公明党とも創価学会とも言っていないけれど、まさに創価学会の中心的な言葉の一つが今回堂々と党名に指名されて居たわけですね。
私は、宗教というものは人間の集団生活の中の精神的な拠り所の一つだと思っているし、そのためには地域とか集団の属性とか場合によっては階層など、色々な理由からその宗教の求めるものほどコスモのも異なると思っています。だから、例えば日本人の多くは「キリスト教」と一括りにするけれど、そのキリスト教の中にも色々な派が存在して、代表的なのはカソリックとプロテスタント なのかなと思っています。日本での仏教だって、宗派色々あるしその中でも別れている場合もある。そうやって生活の中に存在しているものだけに、Xで引用されているような考えを池田氏が持つこと自体、そしてそれを創価学会という宗教集団の中で遡及する事は問題無いと思うし、それは彼らの自由だと思います。
ただし、それがそのまま国の方針になるかというと、それは一寸違う考えじゃ無いかと思うんですよね。「国」となれば、色々な考えの国民が集まった集合体だから、文字通り十人十色千差万別な集まりであるわけで、そこにその中の一部の考えを中心にすえてそれを全員に守らせることは、ある意味宗教弾圧にもなる行為じゃ無いだろうか。勿論、どんな宗教宗派にも共通した考えや行為はあるだろうけど、それってかなり限定的にならざるを得ないと部分だと思うし、ここで言う「中道」がそれに当たるか問えば、彼ら自身が「右派(極左)と左派(極左)の間の存在」という言い方をするように、異なる考えを持つ人達が増えていることが今回の新党結党の理由にしているのだから、決して共通認識の「中道」という存在があるとは言えない。そもそも、その「中道」というのは抽象的な考えかたなわけで、右派(左派)から見たら初期の左派(右派)なのかもしれない。そんなことを考えていると、結局は某かの批判がうまれるであろあ「右派・左派」という言い方を回避するために、ある意味都合良く命名したポジションが「中道」なんじゃ無いかと言う気がするんですよね。
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