深いなあ。できる人が完成してできている姿より、できてなかった人ができるようになる過程を見る方が勉強になる。/林修先生が「もう時効なんで言えるんですけど」と前置きした上でされていた興味深い話→「私が高校入って数学についていけなくなった理由がここに」 https://t.co/EEVSm56MNH
— 佐々木俊尚 五刷出来!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) October 26, 2025
佐々木俊尚氏が引用している、林修先生先生の苦労話のツイート。最初から教えるために完璧に準備して行くよりも、何も無い状態から一緒に問題を解くような状況の方が、生徒にはすんなりと受け入れられたと言う過去の経験なんですが、これってスポーツの世界でもあると思います。
自分が経験しているスポーツは、陸上競技とアメフトだけではあるんですが、どちらも選手からコーチや監督に進む人がいます。その中で言えるのは「名選手必ずしも名コーチ・名監督ならず」という事で、これは野球とかサッカーなんかでもよく聞く話。逆にそういうコーチ・監督で大成するような人って、実は選手時代にそんなに好成績を上げた人では無い場合も多く、結構補欠だったりした人が、後から大成することの方が多いように感じます。さらに言えば、例えば社会人チームが大学チームや高校チームに対して講習会とかのイベントを開く場合がありますが、こういう時に選手が臨時のコーチ役として彼らに技術や知識を伝えます。この時に、言語化というか自分の持っているスキルをどの様に伝えるかというのが非常に大変で、これが教える側自身が自分の強み・弱みを振り返る機会にもなるんですね。だから教える側の選手からも一度経験するとこういう機会を非常に評価してくれます。
出来る選手だけでなく、出来るエンジニア何かでも、そう言うが後輩にスキルトランスファーする場合は結構苦労すると思います。コーディングするような場合でも、閃き的なコードやデザインって、その人は自然に浮かぶんだろうけど第三者からすると、何でここでこういう手続きがあるのかとか、何でそんな変数を用意するのかとか、もう謎だらけのジグソーパズルみたいなもの。他人の書いたソースコードを解析するのは、本当に謎解き以上に謎です(笑)。特にコーディングなんて、その人の技術的背景とかコンセプトとかポリシーとか、外からはうかがい知れない本人だけの素養がふんだんに含まれているものですか、多分その人自身で無いと理解出来ないし咀嚼できない成果物だと思いますね。で、そう言うものを引き継ぐ場合には、非常な労力を伴うわけで、結局は新規に最開発したほうが安いし早いし簡単という結論になる事も。
昔は、情報を探す見つけることすら大変な時代で、しかも情報量自体も限られていました。ところが最近はネットにアクセスすれば、某かの情報は直ぐに見つかるし、それなりに品質も担保されているものも多いから、今はその情報をどの様に活用するかという部分が中心になっています。でも、泥縄式だけれど、情報を集めるところから仕事をすることで、今何が必要なのか何が求められているのか明確化の作業にもなるし、そこで自分の考えをまとめる時間や手間も生まれて行くんじゃ無いだろうか。最近某社の「ノーコードアプリ」のCMを良く目にするんですが、勿論簡単に目的の業務を処理してくれるアプリを作成する技術や手法は良いと思います。ただ、そうなると表面だけ同じでも内部処理が異なると、例えばちょっとした条件が変わると予想外の動作になる可能性もあるんじゃ無いだろうか。あるいみ、インプットだけでなくバランス良くアウトプットもして行く、出来ることが本当の「実力」なんだと思います。
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