2025年9月23日

"非"再生可能エネルギー

今回の自民党総裁選挙候補者の公約の一つにもなっている「太陽光発電問題」。太陽光発電が大規模化するのはまだ許すとしても、その為にある意味無秩序な開発設置が各地で行われていて、それが最近の豪雨災害や台風などの自然災害の時に大規模に崩落したりして二次災害も大きくしている。しかも、太陽光パネルは、日光に当たると発電してしまうから、撤去するにしても必要以上に手間が掛かり、簡単に処理対応出来ない事も問題。少し前のニュースでは、技術的コスト的問題から、数年後に始まると予想される太陽光パネルの廃棄処分の義務化も見送られてしまい、このままでは不法投棄などで更に問題が生まれることは必須なのでは。

元々今の再生可能エネルギー特に太陽光発電に関しては、東日本大震災の原発事故による電源供給困難な状況から、当時の菅直人政権が一気に決定した政策が未だに続いていることが問題で、その責任と罪は大きいと思う。原子力発電が全国に停止していき、足りない電力確保のために、停止した火力発電所を再稼働させるなど苦労し、それでも電力が足らずに使用制限みたいなこともしながら何とか乗り切った後から登場してきた太陽光発電。しかも普及を加速させるためにFIT (Feed-in Tariff/固定価格買取制度)まで設定して優遇して、そのFITが今では電気料金で大きな負担になっている本末転倒状態。当時の高価格での買い取り価格維持のため、有象無象の業者が参入して、最近になって実績の無い業者の排除など多少の是正は取られているけれど、まだまだ問題は残っている。

個人的に、太陽光発電のような「その時の天気次第」みたいな不安定な電源は、それこそ離島や過疎地のように他の手段が無いような場合とかでこそ生きる技術だと思う。また、大規模太陽光発電所にしても、例えば閉鎖されたゴルフ場とか大規模な工場の屋根に設置するとか、元々存在しているスペースを有効利用するから意味があると思うのに、設置するために無理に山間部を開梱したり、最近では釧路湿原での開発とか、「自然エネルギー」が「自然破壊」しているのは良いのかと小一時間。しかも、最初は将来的に再処理するみたいなバラ色の想定でスタートしておきながら、やっぱり再利用再生利用出来ませんと、そのまま廃棄するだけという、「非再生可能エネルギー」になることも決定したわけで、それでも「自然に優しい、再生可能エネルギー」という謳い文句は続けるんだろうか。

何か画期的な充電装置が開発されて、小規模での大容量蓄電が可能になり、万一の場合は一週間位はその蓄電池に切り替えて日常生活がそのまま継続出来るようなレベルになれば、これは災害時のバックアップとして有効だと思う。でもそれもまだまだ技術的には見えていない分けで、そうなると幾ら「再生可能エネルギー」と呼ばれていても、まだ頭に"非"が付くことを認識しないと。何か似たような話があるなぁと記憶を整理すると、これって原子力発電の話と相似している気がするんですよね。原発は低コストで安全な発電と言われ来て、でもその使用済み核燃料の処分が問題ということで問題視されている。太陽光発電も、再生可能な自然エネルギーと言われつつも、結果的には太陽光バルは廃棄するしか無くそれは自然汚染にも繋がるわけで、規模や程度の違いはあるだろうけど、似たような流れだと思います。だからこそ、政府は「義務化」実現のためにどの様な技術開発だとか支援が必要なのか、そこは譲ってはいけないと思う。民主党政権の負の遺産であることは事実で、ある意味尻拭いなんだけれど、それでもちゃんと道筋を付けるのが政府の責任だと思う。

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