羽田発伊丹行きのJL123号機が、圧力隔壁の破損から操縦機能を失い、何とか危機回避をしつつも御巣鷹山の山腹に墜落したのが40年前の8月12日。私は社会人1年目で、関西は神戸三宮での新入社員研修(現場営業所でのOJT)を終えて、本来の所属先である開発部門へと戻ってきて正式配属になった直後くらいの事故でした。弊社からも確か20名近くの社員が搭乗していて、直接の面識はなかったけれど、大阪とか関西方面の事業所で名前を聞いたことのある方が何名かが犠牲になりました。
未だに陰謀論も沸いて出てくるこの事故。 2年前に公開されたFAA(米国連邦航空局)の報告書では、事故の7年前にボーイング社によって修理された圧力隔壁への手順が、作業の複雑さから本来の手順から逸脱した方法で修理されていて、それが経年変化などもありこの時に破損。大事故に繋がる原因になったことが記載されています。そう言う意味では、運航担当者としてJAL側の整備部門での受入検査での責任もあると思うけれど、やはり一義的にはボーイング社の不適切修理が一番の原因な訳です。だから、JALが責任の一部を負うことは当然としても、それ以上にボーイング社の責任も伝えるべきでは。JALが当時を知るものが退職していなくなった以降も、この事故の記録を重大な経験則として継承するならば、製造保守責任のあるボーイングも同等以上の責任と義務があると思う。
ただ、言い方は悪いかもしれないけれど、そう言う「事故の記憶を継承していく」というのは、日本人的な考え方というか意識なので、ボーイング社側には通じないかもしれませんね。彼らとしては、当該機のB747に対しての修理ミスとしてのその減少、原因、理由、今後必要な対策、といった「記録」としては残されるでしょう。それだって、B747の運用が終われば、そのまま放置されて消えていくものだと思うけれど、日本人やJALはそれ以降もその記憶を継承するべきと言う立場なのが、日米の国民気質というか考え方の違いなんだろうなと思います。それによって、次工程に対しての責任と、自分達の業務の正確さ完璧さを追求する姿勢は、製品品質に対して良いことだと思うけれど、ただそれも限界はあるしビジネスとしては、無限にそれを追求することも出来ない。例えば最近の技術を導入して小型ロボット等を導入して作業工程特に検査工程の自動化・機械化を進めるのは、JALだけで無く多くの業界の利益になるでしょうね。そういう形で、何らかの形で後世に伝えていくことが一番の弔いじゃ無いだろうか。
航空機事故は、昔はこういう整備不良が原因の事故も多かったと思うけれど、製造工程や整備工程が洗練されて、色々な知見も取り入れられて最近ではかなり安全性は高くなったと思います。その分最近の事故では、ヒューマンエラーというか、精神的なトラブルも含めて人による事故が増えているのは、社会の様子も反映されている気がします。この事故、日本では勿論、海外の事故を含めても、単独機の事故としては史上最悪の事故ということで、ここから得られた知見は、色々な形で現在もそして将来にも反映されている。世の中、あるいは社会、あるいは人生というものは、色々な事柄の失敗や不幸を積み重ねながらも、それを何とか糧にして次に向けて前向きに進む気持ちを生み出すことで、少しずつより良い方向に進んでいると再確認したいですね。
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