けっこうビックリする話なんだけど、これって死亡届とか出してるんだろうか?そうでなかったら死体遺棄罪では……。/勝手に埋葬する「闇土葬」 外国人増加で霊園トラブル「知らない間にお墓が」 https://t.co/rOrofc0ivx
— 佐々木俊尚 四刷決定!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) August 14, 2025
佐々木俊尚氏が取り上げていた、テレビ朝日のサイトで取り上げられていた「土葬」に関しての霊園トラブルの話題。この話題に関して取り上げようかと思ったら、肝心なオリジナルソースのテレビ朝日サイトの記事が削除されています。Yahoo等に転載された記事も同様。理由は不明ですが、あくまで個人的想像では「闇土葬」という記事中の言葉が、「死体遺棄容認」に繋がるということで、批判が集中して削除したんじゃ無いだろうか。
元記事がまだ残っているときにざっと内容は斜め読みしていて、検索結果とその内容を突き合わせると、何となく昨年末に公開されているこの記事とこの記事をまとめたような内容だったと思います。この記事を読む限りでは、本来以来されておらず勝手に「土葬」された「闇土葬」は有ったけれど、最終的には警察立ち会いの下、多分死亡届なども提出して「事件性なし」ということで埋葬届も出ているんでしょうね。でも、テレビ朝日の記事には、そこまでの経緯は確か書かれていなかったので、「闇土葬」という言葉だけが一人歩きをして、そこから「死体遺棄」というハレーションが生まれてしまったんじゃ無いだろうか。確かに私も最初にテレビ朝日の記事を読んだときには「死亡届とかどうしたんだろうか」と疑問を感じましたから。
本来の話題に戻ると、この埋葬問題は難しいでしょうね。記事にも書かれているように、日本国内の埋葬は、今では殆どが「火葬」で、それ以外の埋葬方法は殆ど無い状態。半世紀くらい前だと、もしかすると山間部とか地方によっては、まだ土葬の習慣が残っていたかもしれないけれど、今の時代はそう言うことも無くなっているだろうし。そういう状況だと、「土葬」のイメージは、ほぼイコール「遺体を埋める」というイメージになって、それって殺人事件の死体遺棄のイメージにほぼ被ってしまう。感情的に許せないという気持ちになるのは理解出来るし、多分ずっと残る問題じゃないだろうか。あと、アメリカで向こうの墓地(有名人の墓地などで観光地化されているところもある)を実際に見たことがありますが、当然ながら人間が収まる範囲が一つ一つ必要なわけです。一般的な日本のお墓のスペースだと縦方向に足りなくて、二区画使ってやっと一人か二人が埋葬できるくらいスペースが必要なんですよね。しかも、後から配偶者とか親族が近くに埋葬できるように、結構スペースも取って埋葬されている。つまり、今のお寺の墓地と比較して、かなりの広さの土地も必要になるわけで、これも今後大きな問題になるのは確実。海外なんかは、どう解決しているんだろうか、凄く不思議です。
「多文化共生」というのは難しい問題というか課題だと思うんですが、その中でも冠婚葬祭、特に人として最後の尊厳が必要な「埋葬問題」は難しいですよね。これが、例えば「日本のお寺のお墓の中に、ムスリム式墓石デザインのお墓を混在させて欲しい」というような要求なら、多分殆ど問題無く共存できると思います。でも、日本人からしたら「死体をそのまま土に埋める」というのは、なかなか理解しがたい状況であることも事実。「昔は日本もそうだった」というのは事実ではあるけれど、その時代に戻って埋葬できるわけでは無いわけで、そこは現在の状況を考えないといけない。この問題も「多文化共生」と言いつつも「他文化強制」に成りつつあるような印象を受けます。
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