新聞テレビが毎年8月になると展開する平和報道について。たいへん同意。「戦争体験の多様性を直視せず、悲劇的な側面のみを強調する8月ジャーナリズムは、歴史の複雑さを単純化する危険性を孕んでいる」/戦後80年で「8月ジャーナリズム」卒業を! https://t.co/cgfYszEbab
— 佐々木俊尚 四刷決定!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) August 21, 2025
同じく佐々木俊尚氏の引用から、毎年終戦記念日に突出する「8月ジャーナリズム」なるもの。この言葉は今回初めて聞いたけれど、まさに自分が感じる違和感を一言で言い尽くす気がします。
実際、8月に入るとどこのチャンネル・メディアも「あの戦争を」とか「あの日を忘れない」とか、8月6日、9日の広島、長崎原爆投下の慰霊から、15日の終戦記念日まで報道を埋め尽くすけれど、それが終わると潮が引くようにその話題は消えてしまう。蝉の一生じゃ無いけれど、8月に入ると突如情報世界のトップに現れるけれど、1~2週間もするとスッと消えてしまい、翌年の8月まで休眠状態に入るかのよう。以前から疑問だったんですが、本当に大東亜戦争、あるいは太平洋戦争に対しての反省なり謝罪なりの気持ちを表すのであれば、終わったときでは無くて真珠湾攻撃で開戦となった12月8日を「反省と謝罪の日」とするべきでは無いかと思うのだけれど。勿論、12月に入ると開戦時の話題もメディアに表れては来るけれど、8月のこの大量の報道・特集と比べたら、「12月ジャーナリズム」何て存在しないくらいの規模に感じます。
この終戦を境に、日本の社会構造が良くも悪くも大きく変わって現在の「日本」がある事を考えれば、その影響の大きさから8月に話題が集まることは理解は出来ます。でも、そこで言われることが、戦争に対しての反省だったり、周辺諸国へ及ぼした被害に対しての謝罪であるならば、やはり一番適切なタイミングはそういう結果を導いてしまった「開戦の日」が相応しい気がします。仮に、日本が戦争に勝利していたのならば、「終戦記念日=処理記念日」なので、終わった日を記念日にするのは分かるし、実際連合国側はそういう記念日を設定しています。それも合って、ますます違和感を個人的には感じるわけです。
今年は、特に「戦後80年」という事で、例年以上に特集などを組んでいるメディアもあるけれど、60年とか70年の頃って、そんなに取り上げていなかったような記憶もあるんですよね。70年目の時には、安倍総理の時代で「70年談話」の内容に注目が集まっていて、「戦後70年を過ぎ、これを最後の談話に」という意図から、かなり汎用的な内容でかつ過去では無く未来を見据えた談話を発表したけれど、石破総理はそれを巻き戻すような「80年談話」を出したいような話も聞こえてきます。当時の「戦争の記録」は後世での研究のために残すべきだと思うけれど、「戦争の記憶」に関しては歴史の一つの墓標として引き継いでいく頃合いじゃ無いだろうか。ただ、それは戦争の事を忘れるのでは無く、その内容というか悲惨さ苦しさに関しては、今実際に起こっている事例が有るのだから、それをもっと真剣に考えて対応するべきだと思う。その為にも、8月に拘るジャーナリズムは逆に弊害に成りつつあるように感じます。
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