2025年4月24日

From TOKYO2020 to EXPO2025

DIAMOND On-lineの記事から、在日中国人による関西大阪万博に対しての日本国内の反応の異常さに関して。実際開幕前は、チケットが売れていない、参加パビリオンが完成していない、トイレが高い・異常など、あれが無い、これが出来ない等批判一色の様相でした。 プレオープンをしたときも、まだ批判意見が大勢だったように見られましたが、いざ開幕すると経験不足からの不慣れな案内や、交通機関のトラブル等問題は発生しても集客に影響はなく、話題のパビリオンや各国の地元メシの人気もあり、あっと言う間に50万人、100万人とマイルストーンを突破。今後よほど大きなトラブルがない限り、今回の万博の成功は保障されたような印象さえ受けます。

広い意味で言えば「批判」は必要であることは言うまでも無い。所謂「イエスマン」だけでは、どんどんその計画は歪になり方向性も歪んでしまうけれど、そう言うものを見直して修正する意味での「反対意見」「批判意見」は必要。それが、核心を突いた問題指摘であったり、見逃していた支援や保証を追加するような前向きな意見ならば良いのだけれど、最近はSNSの発達もあってか、無責任活野放図に勝手な意見を拡散する人が多いけれど、それは今回に始まったことじゃ無い。

遡ること4年前、1年延期された東京2020の時だって、根も葉もない批判意見は酷かった。特に当初の2020年開催をコロナ禍の影響を考慮して1年延期したことで、反対派の人達にある種の「成功体験」を与えてしまったように思うんですよね。2020年の開催は阻止した、2021年にはまた同じように反対意見を大っぴらに公開して批判活動ができる、という二つの成功体験。結果的には、2021年のTOKYO2020は、多くの制限事項はありながらも、日本選手の活躍もあり、また各国からの評価も高くて大成功したと思いますが、その事に関しては何も言及しない。今回も、もうこれで反対意見は出てこなくて、例えばネバール館みたいな極々一部の特異な例を取り上げて「それ見たことか」と言うのが精一杯の抵抗。まぁ、みっともないと感じます。

政府がやるから反対、○○がやるから反対というのであれば、無責任に反対と言うだけの集団にこそ「反対」を突きつけたい(笑)。本来であれば、「メディア」を名乗る存在が、背景なり経緯なりをしっかり取材をして、本当にその様な意見が正しいのか、あるいは実は別の隠れた問題があるんじゃ無いのかとか、調査して伝えなきゃいけないのに、一部ではあるけれど反対派を肯定するようなでも自分達の意見では無く「○○と主張する人達も存在する」と相手に責任をおっかぶせて間接的に報道する卑怯さ。で、成功してくると「○○の楽しみ方」とか「○○へ行く為の秘策トップ10」みたいな記事を平気な顔をして掲載してくるから、本当に彼らがしたいのは「報道」ではなく「宣伝」なんだと毎回感じます。まだまだ始まったばかりの万博だけれど、最後まで成功に向けて走りきってほしいですね。

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