2025年3月12日

-ism vs. -ist

佐々木俊尚氏のnoteに投稿された、興味深い指摘。大きな思想・行動倫理・考え方等を示す「○○イズム(-ism)」と、本来はその構成要素となるであろう個々の行動者の「○○イスト(-ist)」が、乖離してきているというのは、言われてみれば思わず膝を100回位たたくほど納得できる話で、何で今まで誰も指摘しなかったんだろうと思うくらい「目から鱗」の指摘。

昔から「権威を利用する」みたいなことはあって、「○○イズム」みたいなことは、良くも悪くも頻繁に利用されて来たと思います。同じような目的で「○○イスト」と言ってしまうと、本来のその専門家から突っ込みがくるので、それよりももっと大きな塊で、かついろいろ理由付けできる「○○イズム」的な考え方や行動指針を掲げるグループや集団が、ここ20年くらいの間に増えてきています。その理由の一つには、ネットの時代になり自由にかつ広く自分たちの主張や意見を拡散するとともに、問題点を指摘する相手に対しては、なんとなく論破しているようなスタイルをとることで格好がつくような見え方も出来るのがある意味問題だと思う。今にして思うと、オウム真理教(当時)なんてまさにその「○○イズム」集団の先駆けだったのかもしれない。ただそれを言い出すと、新興宗教系なんていうのはほとんどそういう集団のようにも見えてくるし(マテ)。

「エコノミスト」という言葉が一気に認知されたのは、個人的には築地から豊洲への移転騒ぎの時に「建築エコノミスト」なる肩書きの人が人気になったのが始まりだと私は思っています。あれから「○○エコノミスト」なる肩書きが、本人が望んで付けているかどうかはわからないけれど、かなり一般化したと思います。ただ、その後のいろいろな騒動でその肩書きの持つ力が見限られて、今では本来の「エコノミスト」でもそういうことを躊躇しているように感じますねぇ。「エコノミスト」というのは、経済学や社会・組織経済に関して研究したり批評する人の意味だと思いますが、例えば「建築エコノミスト」氏の場合は、例えばそのコストだとか費用対効果という話よりは、最初から豊洲は駄目築地を残すべきという前提で、豊洲のあら探しをしているだけだったからいろいろ批判されたと思っています。築地にも、老朽化を大きな理由に数々の問題があり、経済的にもその問題点を指摘して対策を提案することは可能だったはずだけれど、そういう話はほとんど出さずに、単に「築地を守れ」という話ばかり。本来その人の専門性が評価されて意味のある肩書きだったはずの「○○ist」が、一気に暴落したのはあの事象のせいだと私は思うなぁ。

また、「○○izm」に関しても、最近で一番その存在意義を喪失したのは「リベラリズム(自由主義)」なるものじゃ無いだろうか。 本来は自由と平等に基づく考え、運動・行動、立場といったものの総称のはずが、その前提となる「市民革命」だけがクローズアップされて、現行体制に対しての批判勢力が、イコール「リベラリズム」みたいな言い方をしているように感じます。そのため、リベラル、リベラリストと評されている人達を見ていると、やたらと過激で攻撃的な人が多いように感じるのは気のせい? 組織体としての運動・行動の様子を見ていると、言っている主義主張に共感する部分はあるものの、その行いに関しては距離を置きたいと感じることがほとんどのような気がします。で、そういう集団を構成する「リベラリスト」の皆さんも、なかなか香ばしい人も多くて「あなたの言う『リベラル』って、どういう字を書くんですか」と確認したくなるほど。まぁ、世の中の様々な事柄は時間とともに変節していものだけれど、そういう前提で今あるものを観察しないと、その言葉面にだまされてしまうかもしれない。ある意味「オレオレ詐欺」みたいなもので、自分の子供だと思ったら実は全然違う赤の他人だったということが、あちこちで怒るようななかなか面倒な時代になってきました。

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