2025年3月12日

3.11

昨日3月11日は、14年前の2011年3月11日に発生した、東日本大震災の日。自分が生まれてから、色々な震災が発生しているけれど、記憶する限りではこの東日本大震災が直接体感した多分唯一の震災で、だからやはり14年たっても忘れられないし、福島を中心としたまだ手つかず状態の被災地が、一日も早く復興することを祈るばかり。

「直接体験」と言っても、この日は金曜日で当時は毎週金曜日に横浜のオフィスに新幹線通勤をしていた時。21F建ての横浜の沿岸地区に建つオフィスビルの21Fの会議室でミーティングをしていた時、突然大きく部屋が揺れ出し、後から考えると耐震機能のために逆に揺れるような設計になっていたんだろうけど、ビルの選択部分にあっただけにゆっくりと回されているような状態がかなり長く続きました。横浜なので、多分震度としては4くらいだったと思いますが、長周期振動が長く続いたので、本当に何か永遠にこの円運動みたいな揺れが続くような印象でした。そこから電話が不通になり、でもインターネットは使えたのでオフィスで使用していたVoIPの電話は外線も繋がり家族にも一応連絡できたけれど、新幹線は勿論在来線から私鉄に地下鉄全部止まってしまい、地震から2時間位して徒歩帰宅可能なものは帰宅しても良いけれど、公共交通機関は全て止まっているので、確認出来るまで会社に止まることを強く勧める。非常食などの備蓄もあるので、安心して欲しいというガイドが出されて、そのまま夜中近くまでオフィスで東北地方の様子を見ていました。

当時の記憶を忘れないということは大切だと思うし、そのためには色々な記録を集めて行くことも重要だと思うけれど、この震災記念日になると一日中津波や被災直後の様子等が何度もこれでもかと放送されるのは、正直気持ちの良いものでは無いですね。福島だけで無く、最近では能登半島の地震直後の様子とか、少し前だと阪神淡路大震災の様子等、毎年繰り返されるけれど、もう静かにその日を過ごすようにしてはどうだろうか。自分は特に東日本大震災の映像は、直接その場所にいたわけでは無いけれど、横浜のオフィスビルのてっぺんで揺られた経験は結構強烈で、しかも会議室の窓から横浜湾が見えていて「若しかしたら津波が」という気持ちも感じながら、本震やその後の余震をずっと体験していたので、どうしても違う場所での映像にも心が反応してしまう。自分のように、凄く槓子的に体験した人間でそういう状態だから、言質で実際にその時の震災を体験している人にとっては、今でも耐えがたい状態じゃ無いだろうか。

最近では、東南海地震のリスクがどんどん大きくなっていると言われるようになり、実際そう言うデータも多く出ているみたいですが、じゃぁ明日その地震が発生するのか、まだ10年20年位の余裕があるのかは誰も分からない。出来ることは、「明日何かあること」を想定して、今出来る準備や対策をしていくだけだけれど、中々そうは思っても全て準備出来るわけではない。食料備蓄しても、水が足りないと思えば、水があっても飲み水以上に生活用水が必要になる。そうかと思えば、トイレ問題はどうする、通信網のバックアップはどうする、暖房や煮炊きの燃料だって必要と、それこそホームセンター丸ごと自宅に持ちこまないと無理。実際に震災が発生した時には足りないものも一杯あって、それでも何とかするしか無いんだろうけど、やはり物理的な準備以上に気持ちの強さをまずは確立することが第1だろうか。

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