埼玉県八潮市の下水道管濾水が原因と思われる沈降事件で、50年を経過した上下水道管のメンテナンスと、それ以外のもののメンテナンスとやリニューアルに関して話題が大きくなっています。こうなるまで必要な対策を取らなかった行政への批判は、分からないわけでは無いけれどそれだけのお金と人と時間が掛かることを考えると、なかなか手が回らない事情も理解出来るし、今回だって決して放置していたわけでは無く事前に検査等はしていての事故で、ある意味自然災害に近い物とも言えるのかも。今回の事故現場は、埼玉県南東部の下水システムの集合地点で、最終処分場へ繋がる直前の幹線部分。ですから、直系が4m以上もある建物みたいな下水管が地下に埋設されていると聞いて、最初は単位が「m→cm」の間違いじゃ無いかと思ったくらい。そんな大きな地中建造物が、地下10m位の所に埋設されているんだから、単純に掘り返して交換するなんて言うことは無理でしょう。それにその埋設場所は普通は道路下等の公共部分の地下を利用しているはずだから、長期間道路使用も止めないといけなくなるし、現実的にはかなり難しいでしょうね。
この沈降事件に関連して、人口減少等色々な理由から土木や建築関係に関わる人材が減少している現状から、今後は新規に建物や設備は作ることは出来ても、それを将来にわたりメンテナンス出来る人がいなくなると言う話が見られました。今後大規模な建物とかコンクリート造りの建物が作る事が出来るのは、東京、大阪、名古屋などの大都市圏でのみ可能になるだろうというのは、あながち遠い未来の話でも無いような気がします。更に、ここ最近一種のブームのように乱立していた、高層マンション(タワーマンション)に関しても、メンテナンスは勿論その解体に於いても今後は技術者や作業員が不足して出来なくなるのではと言う話も。そうなると、廃墟としてそのまま残されることになるわけですが、当然あれだけ大きな建造物だから万一東海とかという事態になると大きな被害を周辺に及ぼすことも確実。神戸市などは、既に新規の建築を制限していると言う話もあるみたいですが、確かに言われてみたらそうだよなぁと納得する事実。
ふと思ったのは、例えば50年毎とか100年毎に、町ごと新しい土地へ移動する「遷都方式」でグルグル回るような都市計画は駄目だろうか。例えば50年毎に4箇所の候補地(仮に、A, B, C, D)があり、Aでの50年間が始まると同時に、その直前まで使用していたDの資材を分類して再利用出来るものと分類する作業を開始、更にその前のCでは旧建築物やインフラを撤去しつつ更地にする作業を進め、Bでは次の50年間の利用に今日するための新都市建設を始める、とか。B, C, Dの作業には自動機械を投入することで、省力化しつつ効率的に進められるだろうし、資材に関しても再利用を進める事で、コストダウンや効率アップも考えるようにすれば良いんじゃ無いだろうか。勿論、これはあくまでアイデアで、現実的にはA-Bの二地区で交代で移動すれば十分かもしれない。要するに、日々生活している環境の中で、その生活を維持しつつ修理や更新作業を進める難しさよりは、新規にゼロから創り上げる方が、より効率的に準備出来そうな気がするけれどどうだろうか。
勿論、そうで無くても「土地信仰」の強い日本では、自分の土地を離れる、他人が利用することの抵抗感が大きくて、難しい事は十分理解出来るんですが、同じ社会インフラの上で生活している限りは、やはり妥協しないと今後は生活自体が成立しない時代になるでしょうね。また、「勿体ない」信仰の日本人からすると、使えるものがあるのに新規に作るということは「無駄」という意識もあるだろうし。さらにこういう仕組みが仮に出来たとすると、どうしても過疎地域などでの生活はさらに制限されるだろうから、それこそキャンプの様に自給自足でのみ許されるような仕組みになるかもしれない。そういう人達が中心部に集まり、公共サービスの提供コストが下がり効率化されることは、社会システムとしては悪くない話しだと思う。後は、その人の人生観というか、生活スタイルに対して、どこまで保証してどこから自己責任という認識が浸透するかでしょうか。 そう言えば、何かそう言う題材のSF小説を昔読んだ記憶があるなぁ...
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