もう12年も前になりますが、わたしは2013年に「家めしこそ、最高のご馳走である。」など料理本を2冊マガジンハウスから刊行しました。この中で書いたのは、家庭料理というものの再定義でした。それは決して…
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) January 8, 2025
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佐々木俊尚氏の「料理論」。個人的に勝手に佐々木氏と自分は似ている部分が多いなぁと感じて、だからネットの定点観測地点の一つにしているんですが、この「料理論」もまさに自分と同じ考え方・実践方法で「やっぱりな」と膝ポンした程(笑)。
私が数年にかけて何ヶ月毎にアメリカ出超に出かけていた1990年代は、まだインターネットもそんなに発達しておらず、精々著名企業サイトがWebサイトを立ち上げて板程度の時代。それでも、一応コンピューターの会社だったので、社内ネットワークは当時のインターネット環境よりも充実していて、勝手に個人がWebサーバーを設定してHome Pageなんかも立ち上げることが出来た時代。出張先のレストランガイドを作っていた後輩(彼はネイティブ並みに英語が堪能)が居て、それがコピーで出回っていたので、社内webを作ってそこに掲載したのが振り返ってみれば自分の「ネット人生」のスタートだったかもしれない。その後、レストランガイドだけで無く付近の観光情報とかお店情報、さらには生活に必要な銀行・金融機関系の話とか、社会背景や社会規範見たいな、現地で生活するに必要な情報をどんどん放り込んでいたら、いつの間にか出張者のバイブルみたいな感じで社内的に有名になったりしました。当時は数ヶ月単位での出張だったので、宿泊先はキッチンが付いているResidence Innだったり、途中からは現地でマンションを部門が借りてそこを順番に利用していたりしました。当然自炊前提になるわけで、待たしもマイ包丁持参で何度も往復しました。で、向こうで色々食材とか調味料を現地調達したりして、レシピサイトみたいなものもWebに書くようになり、それが続くと佐々木氏が書かれているように頭の中である程度料理のシミュレーションみたいなものが出来るようになったんですよね。
調味料で言うと「さ(砂糖)、し(塩)、す(お酢)、せ(醤油)、そ(味噌)」 のうち、味噌以外は当時でも現地のスーパーで購入可能でした。後無かったのが、日本のソース類(ウスター、中濃、トンカツソース)。勿論、日本食材屋さんへ行けば日本から輸入したそれらを購入出来ましたが、そういう所に頼らずに向こうのスーパーで販売しているもので、和食風の料理をするのが当時のマイブームでした。で、それだと流石にメニュー数に限界があるので、そこから材料や素材は豊富な洋食にも手を出すようになり、その時の経験と知識が今でも役立っています。今でも、揃えるのは「(薄口、濃口、白)醤油、塩、砂糖、味噌(基本合わせ味噌)、酢、胡椒、コンソメ」など一般的なもので、例えば「めんつゆ」とか「白だし」は基本使いません。理由は、めんつゆと言ってもその配合はメーカーや製品でバラバラなので、同じ物を作るにしてもブレてしまうから。基本的には、醤油、味醂、酒に、塩と砂糖を色々な分量で配合して、それにおだしを合わせれば和食の汁にしても、合わせ調味料は出来るので、その塩梅を覚えれば、めんつゆとか白だしというものは不要になります。佐々木氏が「あそび」と言われている色々な料理チャレンジも、当時は現地のものだけで以下に「和食らしい和食」を作るかが自分の息抜きになっていて、当時作って好評だったものを幾つか思いだすと、
- タロイモの煮っ転がし(里芋の煮っ転がし風)
- ティラピアのフライや煮付け
(淡水魚のティラピアは、かなり手軽にスーパーで入手可能で、サイズ的にも丁度良いので色々利用しました) - パン粉が無かったので、現地のパンを乾燥させて袋に入れて砕いてパン粉みたいな物を作って作った揚げ物各種
(後日、ポテトチップスを砕いて代用したら結構いけたので、これをミックスしたりしたことも) - 充填豆腐を一度昆布出汁で煮て湯豆腐にした物を冷やした「冷や奴」
(当時はまだパック式の豆腐は地元スーパーには無くて、ドリンクパックみたいなものに入った充填豆腐しか無くて、これが不味い豆腐でそのままは食べられなかったから)
料理というのは、自分は自分なりのいろいろな「公式」を集めて持っていて、そこに食材というパラメーターを入れて「解」を出すものだと思っています。だから、調味料の塩梅とか組合せが「公式」になり、そこに食材とかをどの様に組み合わせて最適解を導くか、あるいは解からパラメーターをどの様に設定すれば公式が成立するのか、そんなことを考えながら料理していたような気もします。「美味しいものを食べる」というのが最終ゴールではあるんだろうけど、その為にどんな手順や作業が必要なのか、それを探る「過程」も実は重要なわけで、それがある意味「息抜き」でもあるし、次のゴールへのヒントにもなるわけです。で、そうやって自分の知識や経験値が広がっていくことは、「報酬」として獲得出来る喜びも感じるんですよね。それは、新しい発見をしたときの喜びと同質のものだと思います。そう言う意味で、「料理・調理」というのは、化学実験でもあるし、物理実験でもあるし、科学探求でもあると言えるというのが持論。だから、理系向きだと勝手に考えています。一番のメリットは、どうしても頭の中だけで組み立てがちなアイデを、手や舌や目や鼻に耳まで互換全部を使って検証しながら完成させていく行為をするから、そこから生まれるたもの(=料理)よりも、その経験値が自分自身へのフィードバックとして蓄積されて次に繋がる事だと思います。まさに知識探求、未知体系の醍醐味とも言えるんじゃ無いかと思いますね。
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