2024年8月8日

壁に耳あり障子に目あり、さらにネットは拡声器

佐々木俊尚氏が照会している、タレントのフワちゃん騒動に関しての一連のスレッド。「裏垢」という言い方が出ているけれど、いったんネットに存在してしまえば「裏」か「表」か関係無くて、すべて公開される物なわけで、「裏だろう」と思っているのは本人だけの認識。最近は余り聞かれないけれど、「ネットの匿名性」みたいな事が以前よく言われていたので、もしかしたらネットって匿名性が担保されている場所という変な誤解が常識として認識されているんじゃ無いかと疑問に思うくらい、「私」という物の認識が何故か現実社会と違うと思われている気がします。いゃ、ネットだろうが現実社会だろうが、人が集まって居る場所のルールは同じだし、何も変わらない。逆に、ネットは現実社会以上に拡散性も複製も瞬時に行われるから、よりリスクが高い場所なんですよね。

今回のフワちゃんの書込は、裏垢と間違えたというよりは、やはり本人の性格と言うかいつものノリのつもりで書き込んだらとんでもない状況になったという「軽率さ」が原因だと思う。そういう性格を含めて友人として認識して付き合ってくれている人ならばまだしも、同じ業界だから互いに相手のことはそれなりに知っているだろうけど、親しくしているほどでは無い相手に対して同じノリで絡んでしまっては、やはり相手としては「何なのこの人」という認識しか生まれないだろうなぁ。 しかも、それが全て公開される場所で行われたら、直接関係ない無限の第三者からのツッコミも当然怒濤のように押し寄せるだろうし、まぁ「軽率」以前の行動だと思います。ちょっと前だと「毒舌」が売り物のタレントさんとか有名人の人もいたけれど、そういうキャラクターを成立させて認知させるまでの経緯とか、その毒舌の内容とか、いろいろな要素が有って認知されて初めて成立する芸風な訳で、正直「コンプライアンス」が厳しく問われる現代ではなかなか成立しない物だと思う。

大体「裏垢」なる物を作って、本垢と裏垢を使い分けているつもりの人でも、同一人物が書き込んでいる以上どうしても「共通項」みたいな物って分かる物何ですよね。例えばちょっとした言葉の使い方や言い回し、あるいは結構微妙なのは句読点の使い方とか、段差や改行の仕方みたいな所とか。勿論、内容に関しても何となく似たような傾向だったり主張が見えてくるものだし、180度正反対のことを本垢・裏垢で書き分けていたとしても、やはり「公約数」見たいなものって見えてきたりするものなんですよね。それこそ、多重人格のような人がそれぞれの人格毎にアカウントを設定すれば、別人として破綻しないような書込も可能かもしれないけれど、まぁ普通は無理。特に今後AIによる比較検索機能が充実したら、これまで以上に瞬時に特定されて、そのネットでの行動に対しての批判や疑問はどんどん生まれてくると思う。

その発言自体許されるものじゃないけれど、同じような事が口伝えで発生したような状況ならば、まぁ仲間内のトラブルみたいな感じで大騒ぎにならずに収束したかもしれない。でも、ネットという基盤社会は一瞬でその情報が多方面に拡散されるし、その拡散度はどんどん加速していくので、書き込んだ瞬間に取り返しの付かないことになってしまう。リアル社会ならば相手の反応を見て「ごめんごめん、冗談だよ」と修正することも可能だけれど、ネット社会での発言は修正の利かない一方通行的な要素が大きい。それって、細かな部分の無駄な議論に発散する可能性も大きくて、ネットの欠点の一つでもあると思う。だからこそ、特に注目されている有名人等は注意が必要なんだけれど、アクティブな人ってどうしてもそういう部分に甘くなりますよね。つい習慣化してその辺りの判断が甘いままあるいは判断無しで行動(=書込)してしまうんだろうなぁ。ネットがまだ一般化していない時代だと、結構そういう部分を気にしていたと思うんですよね。ただ、ネットが普通の物になり誰でも彼でも利用する物になれば、当然そういう緊張感は無くなるし、でもいったん問題が発生すると大騒動になる。今回の件も、見聞きする限りではフワちゃん側の失態だし、そこは当事者同士が話をして納得したならば、フワちゃんがネットや芸能界に戻ることは許しても良いんじゃ無いだろうか。但し、そこに以前のようなスポンサーだったりファンが戻るかは別問題だと思うけれど。それに、擁護するわけじゃ無いけれど、その問題やトラブルを起こしたその人の属性によっては、「お咎め無し」みたいな事も過去にはあったわけで、そういう部分はもっと考えないといけないと思う。特に問題なのは、そういう本来はNGな事を、自分達の利益になると思うと、逆に持てはやすようなそれなりに力や地位を持った一定の人達が存在する事なんだろうな。

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