ITmedia窪田順生氏のコラムから、使い捨て容器を使用するすき家のコスト削減戦略について。最近では「SDGs」とかが最優先されるようになり、コンビニやスーパーからはレジ袋が消えつつあり、ファストフード店のプラスチックストローは、無くなるか紙製のストローに変わりつつあり、プラスチックの大量使用時代から変わってきているのが現状。ところがすき家では、その時代に逆行するように使い捨て容器を使用しているのだけれど、その理由は陶器製などの食器を使用した場合に、それらを洗浄する手間が大きく従業員に負担を強いるから。人を削れないのであれば、工程を削るという思考は、自分としては正しいと思う。もし、これすらも駄目というので有れば、飲み物を購入したい人は常にマイボトルを持参するべきだし、食事を取りたい人は常にマイ茶碗やマイ取り皿を持参するべきと言う話になってしまう。
この記事を読んでいて思いだしたのが、最近購入した某プライベートブランド(PB)商品。製造委託商品ではなく、自社名を関したPB商品としては、自分の記憶では当時のダイエーが「ダイエーPB商品」みたいな形でメーカー商品と比較して安さを訴求したのが最初だった様に思うのですが、その後一気に普及しましたよね。当時は、同じメーカー商品と比べて、例えばパッケージのカラー印刷を単色にして印刷コストを落とすとか、パッケージ自体を簡素化してさらにコストを下げるとか、見た目のコストダウンを主流だったけれど、その後は内容に関してもいろいろ要求が入ってPB商品とベースとなるメーカー商品の違いが際立つようになってきたように感じます。特に味に関しては、昔はそんなに違いは感じられなかったけれど、最近のものは明らかに違いを感じます。薄い、濃いだけで無く、味付けの傾向が違ったり、多分二度焼きするところを一回にしているような雰囲気とか、何か同じような煎餅なのに醤油の味が違うなぁとか、以前と比べて明らかに「コストダウンしている」感が強くなってきています。食品だけで無く文房具の類も同様で、例えば粘着テープとか付箋みたいなものは、明らかに糊の部分の品質が違い、貼った後の粘着力とか明らかに違う。テープでも、日光による劣化はPB商品が早い気がするし付箋なんかも紙質が少し厚めでぼてっとした気がします。
昔は、対象となるメーカー商品があって、その内容を維持しつつどれだけ本質以外の部分のコスト削減が出来るか、というのが目標(=テーマ)だったと思います。ところが最近のPB商品は、名称や目的は同じなのだけれど、対象商品と同じ物を安く作るというよりは、対象商品にどれだけ似せることが出来るのか、と言う事が目的のように感じる。言ってみれば、有名ラーメン店に入ってそのお店一押しのラーメンを注文したら、出されたのはそのお店監修のカップラーメンだった、見たいなガッカリ感というか(笑)。一番良く買う醤油は、メーカー商品でも多分大量生産品の商品もあるから、それと比較したら同等なのかもしれないけれど、やはりPB商品の醤油だと味の厚みがないというか。別の言い方をすれば「あっさりしている」というか、濃い口・淡口とはまた違う感じ何ですよね。あと、最近の食品や野菜なんか全般にそうだけれど、全体に甘味が強くなっている気がします。甘めの醤油とか甘めの味噌みたいな感じ。私は、「甘味」は重要だと思うけれど、甘い味付けは得意では無いので、たまに試しに買ってみて後悔することに。そういう時は、煮豚用に大量投入して一気に消費するんですが(笑)。
「SDGs」という言葉には一寸疑問を感じるんですが、有効利用をする、効率的に利用する、と言う事はそれとはまた別のでも重要な事だと思うんですよね。プラスチックだって0には出来ない訳で、さらに言えば確か減量は石油精製の過程で生まれる、以前は使い道の叶った「廃棄物」の再利用製品だったはず。もう20年位前の「割り箸不用運動」だって、わざわざ木を切り倒して割り箸を作っているわけじゃ無くて(中国製割り箸などはそうだったらしいけれど)、間伐材等のそのままだと使い道の無い木材や製材過程で生まれるは行き部分を有効活用して作られていたもの。だから割り箸を無くせば、見た目の木材利用は減るけれど、裏では使い道が無くなりそのまま廃棄される木材資材が増える事に。開発の仕事でも、何度も「開発工程の見直し」という事で、途中で重複したテストや開発作業を最適化したり、無駄なプロセス排除とか言って工程過程の見直しがされるけれど、結構もう何年もやっていると一見無駄に見えても実は結構重要な部分だったりするわけです。余りに清流過ぎると、逆に生き物が減るように、余りに効率化して無駄排除するだけでも駄目というのが、実社会の暗黙のルールだと思うなぁ。
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