2023年6月21日

妥協と歩み寄り

ジャーナリスト佐々木俊尚氏のvoicyから、先日成立した改正入管法に関しての顛末について。

取り上げられているForbesの記事はこちらなんですが、改正入管法に関してよりも、味方からの融通の利かない「活動」に対しての怒りの方が大きいことがひしひしと伝わる内容。

入管法に関して自分自身詳しいわけでは無いし状況を詳細に把握しているわけでは無いけれど、ざっくりと言えば現在難民申請を悪用して不法に滞在延長を続ける不法滞在者を何とかしたい与党側と、それとは別に難民として認定が必要な人への支援拡充をしたい野党側が、それぞれ自分達の主張を通すために対立している、という風に見えます。どちらが正しいかという事はなかなか難しく、どちらもその言い分には正しい部分があるし、問題点もある。入管法というのは、国外から日本に来る人を対象にした法律でそういう人達に対しての法律だけれど、結果的には海外から良からぬ意志を持って日本に来る人間を防御する目的もあるはずだから、国内の人間にとっても関係する法律なんですよね。そう言う意味で、何度でも難民申請を繰り返して実質的に無期限に滞在出来るような今の仕組みは改める必要はあると思う。一方で、人道的な見地というのは場合によっては法律や規則を超える場合があることも事実で、止むにやまれない理由から日本に来て何とか支援を受けたいという気持ちもよく分かります。ただ、だからと言って無制限に支援できるわけでは無いだろうし、更に本来の対象者では無い人に対しても支援するいわれは無いと思う。

与党・野党、それぞれ主に主張する部分が異なるので上手く修正案を準備すれば噛み合う可能性もありそうな気がするわけで、実際有る程度の妥協点まで歩み寄ったみたいですね。それが「All or Nothing」を求める一部野党側の譲らない主張で全部ご破算となり、結果的には与党案がそのまま通る結果に。これって、この件だけで無く、旧民主党政権から与党に政権が戻ってから、ずっと野党特に現在の立憲民主党の流れの中で起こっている事柄の繰り返しだと思う。何度も書いているけれど、過半数を握っている与党は、やろうと思えば自分達の考えをそのまま通すことも可能なわけです。でも、それを続ければ「強権」とか「独裁」とか批判されるし、必ずしも彼らの提案が全て問題点を網羅しているわけでは無いから、広く野党からの意見や提案も取り入れることで、より洗練された内容のある法案が生まれてくるはず。だからよほどの事が無い限りは、今のように多数を占める与党であっても、野党の提案を取り入れようとするわけだし、それが健全な民主主義の証しだと思う。だから野党としては、出来るだけ自分達の主張の正統性を示して、与党案では足りない部分、問題のある部分に対しての修正をする事が重要な仕事だと思うけれど、それで法案が通ると「与党の手柄になる」と嫌うのが今の野党の様に感じます。だから自分達の意見を丸呑みしろと言わんばかりだけれど、少し前にありましたよね。野党の案を丸呑みして修正案を出したら、その修正案をその野党は反対したような事が。

「妥協」と聞くと、何か弱腰なマイナスのイメージが浮かぶことが多いと思うけれど、佐々木さんが言われているように自分の仕事も含めて多くの仕事は如何に関係者の間で妥協点を見つけて一致できるかに集約できる気がします。自分が関わる製品開発の場合は、元々計画されたものに対して、色々な障害や問題解決、さらには製造コストだったり販売数だったり、新しい問題が生まれてくる中、その製品を計画通り出すのか中止するのか迄含めて、何度も関係者同士で妥協点を満たす作業を繰り返すもの。場合によっては、企画責任者が譲歩してスケジュールを伸ばしたり、あるいは開発部門が多少無理をしても何とか機能実装を進めたり、いろいろな「妥協」が生まれるからこそ進むもの。「妥協」という言葉が悪ければ「摺り合わせ」とか「歩み寄り」とか「問題共有」とか、言い方は色々あるけれど、結局は最終的なゴールに対して、歩む道・経路は違うかもしれないけれど、そのための方向性と歩調は全員で共有して会わせる行為だと思うんですよね。でも、よくよく見ると野党のゴールは「自分達の主張の達成」であって、その何とかして困っている人を助けるという本来のゴールに向かっていないことが最大の問題点だと感じます。本来ならば自分達の提案・修正が入らなかったのだから、野党にとっては「敗北」なのだけれど、自分達の主張を貫いたことで彼らとしては「成功体験」を感じているわけです。テーマは違うけれど、よく彼らは「力の前に話合いを」と言うけれど、まさに今回の様なケースがそれに当てはまると思うけれど、自らそれを放棄している。そういう指摘が、身内からも出されていることを、もっと深刻に考えないといけないと思う。彼らが自分達の考えに確執して自滅するのは勝手だと思うけれど、そういう彼らにすら助けを求めたい人も存在するわけです。自分達の主張を譲らないことは、彼らなりの「美学」かもしれないけれど、それに付き合わされる困窮者にとっては死活問題でもあるし、そんな美学なんて何の足しにもならない。常に100点満点の結果を出せるなら別だけれど、多くの場合は合格点ギリギリの点数ではあるけれど、常に安定して得点出来決して落第しない政治家・政党が実は一番国民は求めているんじゃ無いだろうか。だからこそ、問題や批判も多いけれど、何だかんだ言っても自民党が支持されてきた理由何だと思う。

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