2023年5月13日

シン騒音問題

最近よく聞かれるようになってきた「子供の声の騒音問題」に関しての東洋経済ONLINEに掲載された記事。この件に関して言えば、私も結論に書かれているように「子供の声」を「騒音」か「非騒音」かの二択にしている点が最大の問題点だと思うんですよね。「騒音」という言葉が「騒がしい音」と書くように、「音源」となり得るものならば、全て「騒音」になる可能性があるわけですよね。

例えば先日も全国的に開催されていた「選挙時の音」。「〇〇に立候補しました、〇×△□です」みたいな事を拡声器(マイク)で話ながら街宣車で通過していくけれど、あれだって場合によっては「騒音」と感じる事もあるのでは。街宣車は、基本動きながらだから、一瞬我慢すれば済むけれど、街中での街頭演説なんかは一定時簡素の場所を占拠して不特定多数に対して大きな音を出す行為を続けるわけだから、見方によっては「騒音行為」と言われても仕方ないと思うし、そう感じる人も昔から一定数存在していたわけですよね。それでも、選挙活動に関しての正当な行為ということで、文句は言っても街宣車や街頭演説が禁止されることは無い。あるいは、「音楽」だって、自宅で聞いている分には問題ないけれど、それを外で同じように流したら「騒音」と感じる事も少なくないでしょう。「音楽」というものは、それだけでは「騒音」とは全く異なる音源なわけだけれど、その音量や再生場所によっては「騒音」化してしまう。その線引きをするのは凄く難しい話ですよね。例えば音量で「何dbを超えてはならない」と規定しても、感じ方は人それぞれだろうし、その場所が静かな場所であればその値でも煩わしく感じるだろうし、交通量が多いような場所だと気にならないだろうし。

音量で言えば、小音量でも気になる場合って結構有りますよね。一番あるのは、電車の中とかでイヤホンから漏れて聞こえてくる「シャカシャカ音」なんて、その最たるものじゃ無いだろうか。SONYからWALKMANが発売されて、ポータブルオーディオ装置が一気に普及し、それとともにWALKMANに付属していたオープンエアータイプのヘッドホンが、軽量ゆえにこちらも普及したことで「音漏れ」問題は社会問題にも一時なったわけです。この件に関しても、当初余りに大音量で視聴している人が多くて、それ故に音漏れの度合いも酷いものも多かったんですが、最近ではインナータイプやカナルタイプのイヤホン/ヘッドホンが主流になってきているので「音漏れ」の場面に遭遇することはかなり減ったと思います。でも、私なんかの世代は昔の音漏れの経験も記憶もあるから、以前なら問題にならないレベルでも都内の地下鉄なんかで「シャカシャカ音」を聞いてしまうと、つい「むむむ」と思ってしまう。こういう部分が、文字通りの騒音とは異なる音源に対しての新しい騒音問題、言ってみれば「シン騒音問題」を起こしてしまうんじゃ無いだろうか。

子供の声にしても、昔は子供も多かったから一日中どこからか聞こえてくるのが普通だったし、大体住宅自体が隙間だらけだったから、子供の声以外の外の音もどんどん室内に入ってくるような環境でしたし。それが住宅の遮音性も向上してきたから、例えば冬場は締め切るから外の音も低減されるけれど、春になり段々と開放的になると窓も開けるようになるため外の音が気になり出すとか。夏になってしまえば、再び窓等を締め切ってエアコンを掛けるようになるから、暫くは落ち着くけれど、秋になればまた窓を開ける機会も増えて、さらに運動会とか行事が開催されるとその分子供達の活動も活発になり、歓声や会話の声も大きめになってそれがまた気になって... というループが、特に自宅に長く滞在している高齢者などは影響しそう。私もリモートワークで、一日中自宅で仕事をしていますから、実はそういう変化は結構感じていて、特に学校が終わって下校する午後の3時前後や、その後一旦帰宅してから遊びに出てくるのでしょう夕方頃には、子供達の声が気になるときもあります。だからといって、「子供の声が騒音になる」という主張に対して「子供の声は騒音では無い」と対立軸にしてしまっては、そこで作られた「溝」がどんどん深まっていくしか無いんですよね。子供の声と言えども、一定の音量を超えた場合や、生活時間によっては気になるときもあると言う事を双方認識して、この区域では騒がない、大きな声は慎む、近隣住民から気になる行為があれば担当者なり学校なりにフィードバックして貰い、相互に妥協できる着地点を多少時間を掛けながらも協力して見つける、というような事こそ、この子供の声だけで無く今の世の中の色々なことにも当てはまる気がします。騒音だけで無く、LGBTQとか今問題になっていることの多くは、解決すると言いながらも結局は新たな対立軸を作っているだけのような気がします。

0 件のコメント:

コメントを投稿