2023年5月5日

日常を発見する旅

佐々木俊尚氏のvoicyから、「旅の醍醐味」に関して。 

内容に関してはその通りだと思うのだけれど、やはり社会構造というか社会のシステムが昔(30~20年位前)と大きく変化しているので、「旅の醍醐味・楽しみ」という意味自体が変化してきているのだと思います。一つはネットワーク時代に入り、さまざまな情報が大量にかつリアルタイムに提供されてきていること。もう一つは、オンライン決済が社会経済のインフラの中心となり、「旅することの閾値」が下がったこと。この二つが、非日常行為であった旅を日常の行動にしたことが大きいと思います。

自分が社会人になり、仕事で海外に出かけるようになった時、あるいはプライベートで旅行に出るときなどは、先輩やその場所への旅行経験のある人に尋ねるか、所謂ガイドブック「地球の歩き方」とか「るるぶ」みたいなもので情報を得るしか無い時代でした。だから、本当にその場所に行ってみないと分からない事だらけで、見たことの無いことだらけでした。今のようにネットからの情報で事前に疑似体験に近いような事が出来る状態では無い時代だったことは大きな違いだと思います。もう一つは、色々な理由から「移動する事」「旅すること」の敷居が低くなってきたこと。昔なら、長距離の電車とか特急だとか寝台車切符と言えば、予め駅の「みどりの窓口」などで購入するか、旅行代理店から購入するしか無かった。でも今なら、オンラインで済ませることも可能な時代だし、それこそSuicaがあれば日本国内なら殆どの場所の移動時に利用出来ます。だから、今の時代は「風景の答え合わせ」に行くのでは無く、結果的に「(風景とか事前に知っている情報と)答え合わせのように一致することばかり」になってしまったと言えるのではと思っています。

もちろん佐々木氏が話されているように、全ての観光地がネットで網羅されているわけでは無いので、そこにはまだまだ保存されていない情報も沢山有り、わざわざニッチなところを狙わなくても新しい発見、新しい体験に遭遇する機会も多いと思います。私なんか、その場所への移動手段の手配は入念にするけれど、実際どこへ行くかとか何をするかなんて言うのは、結構現地に行ってから、あるいは当日決めたりしています。事前に「こことここ」みたいなプランを決めても、当日の天気の様子とか、その時の気分で変えたりする事も。わざわざ想定外を想定しなくても、普通に行動していても想定外の事は幾らでも生まれるわけで、強いて言えば極端な想定外の事象(例えば、事故とか事件に遭遇するとか)に遭遇したときには、何か対応出来る「Plan-B」や「Plan-C」の準備は予めして置くことは必須だと思う。私自身、特に海外に行ったり観光地として有名な場所へ行く場合にも、基本となるテーマは「何もせずにぼーっとする」事と設定しているので、少しでも何か新しい発見があれば、自分にとっては「新鮮な喜び」だったり「未体験の感動」みたいな体験になっていくんですよね。

「風景の答え合わせ」という言葉を聞いて思いついたのは、例えば予約の取れない有名レストランへ行くとか、希少価値の高い車や装飾品等を購入する・入手する、みたいな事も同じ話なのではと言うこと。私などは、何年も予約が取れない有名店とか、一生に何回も食べられない珍味とか聞いても、「それなら行かなくても、食べなくても変わらないのでは」と思う天の邪鬼と言う事も有るけれど、そういう所に行くという事が「体験の答え合わせ」みたいなものと言える気がします。それよりも、一日仕事を頑張った後の「駆けつけ一口目のビール」とかの方が、自分にとっては意味があるのでは。私が懇意にさせて貰っているお鮨屋さんがありますが、ここに通うようになった切掛は、開店して初めて入った時に、いつもなら食べない車エビのにぎりが美味しかったことで、それで二度三度と通って他のネタや摘まみ等いただいて、気に入ったから。小さな感動ではあるけれど、小さくてもそう言うものが少しずつ積み重なって次の大きな感動に繋がれば、それが一番良いことでは無いだろうか。まぁ、結論から言えば、情報は利用するもので振り回されるものでは無い、と言う事に尽きるんでしょうね。そう言う意味では、いつもの変わらないと感じる「日常」というのが、一番大切な気がします。

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