佐々木俊尚氏が取り上げていた、日本語と外国語のニュアンスの違いに関しての話題。
「湯水のように使う」という日本語が海外の人には「大事に使う」と理解される話など非常に面白い。文化的コンテキストって本当に重要。/ベトナム人が分からなかった日本語について「日本に来たらなんとか理由を理解できた」言葉の文化は地域の特徴や価値観で解釈が変わる https://t.co/pr2BASsIXg
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) April 6, 2023
ここでも何度か書いているんですが、私も30数年前に仕事で初めて海外(=アメリカ)に行って英語での会話を頻繁に経験するようになって一番感じたのが、「日本語の直訳、英語の直訳では通じない」という事。言葉っていうのは、その人、その地域での生活の一部というか自然も含めた環境の一部なので、その場所での経験から生まれた語句や言い回しが多く含まれる物。それを理解した上で、翻訳なり解釈しないと全然違う意味になったりするんですよね。今回の「湯水のように使う」も言われて見れば好例で、日本のように水資源が豊かな地域なら「制限無く幾らでも消費する」という意味になるけれど、乾燥地帯何かだと「大切に使う」という意味に取られても不思議は無い。ベトナムだと、雨季乾季が有るのかな。そうなるともっと複雑な意味に解釈されるんだろうか。
そんな自分の経験から自分なりに辿り着いたことは「外国語を習得しようと思ったら、まずは日本語を完璧に(近づけるように) することが一番重要」という事。英語から日本語、日本語から英語に単に単語を置き換えて語順を文法に沿って入れ替えるだけでは、ちゃんとした会話にならないんですよね。また、「英語には日本語ほど敬語がない」とはよく言われるけれど、使う単語とか言い方で、結構微妙な関係を前提にした言い回しになる事もあるし。また、日本語の場合比喩を使うときには自然とか森羅万象を素材にした言い方が多いと思うんですが、アメリカの場合だと歴史だとか故人の有名な言葉を引用する場合が多いような気がしています。まあ、そんなアメリカでも国土は日本の何倍もある広い国だから、日本以上に自然豊かな地域もあって、そういう場所だと日本のように自然由来の言い回しも多いんだろうけど。個人的に一番「なるほど」と膝を100回位叩いたのが、纏まった動物の集団を指す言葉が、日本語では「群」一つだけれど、英語だと種類に寄って異なるという事。例えば、日本語では「群」で済ませてしまう極々一般的な言い方だと"group"が使えると思うけれど、英語の場合、例えば象だと"a herd of elephants" だし、狼だと"a pack of wolves"とか。笑っちゃうのは魚類の場合は"school"を使うので、メダカの場合"a school of killifish"と文字通り「メダカの学校」になること。逆に、食材として日本人には馴染みのあるキノコ類は、英語だと"mushroom"の一択だけれど、日本語だとそれこそ「松茸」「椎茸」「なめこ」「舞茸」と枚挙にいとまが無い。この辺り、日本人は農耕民族なのに対してアメリカ人は狩猟民族なので、生活の対象が異なるからより密接に関係する部分の言葉は豊富になるんだろうなぁ。一方で、食べ物に関しての言葉は洋の東西を問わず豊富なのは、やはり衣食住に関しては人間が必要な要素の一つだからだろうか。
最初の頃は相手との会話では、相手の話し言葉を日本語に翻訳して理解し、今度は日本語を英語に翻訳して伝えるというプロセスを毎回経由していきました。何度か仕事やプライベートでアメリカに滞在していくと、相手の話す「英語」が、何となくイメージとして頭の中に再生される感覚が生まれてくるんですよね。それまではテキスト文でやり取りしていたのが、一気に画像ファイルから動画ファイルに成長したみたいな。不思議な事に、ヒアリングでそういう感覚が生まれてくると、スピーキングでも自然と単語が口から出ていくようになっていくので、話し言葉も流ちょうさを少しずつ増して行く気がします。当時言われたのが、私の仕事相手は自分で話していても舌を噛むくらいの早口のエンジニアで、現地のアメリカ人にとっては「うん、彼はちょっと早口だね」という位でも、日本人から見ると英会話テープを3倍速4倍速で再生されているような感じの人。その早口の英語が、ある日突然自然に耳に入り理解出来、それに対応する私の会話スピードも、回りの日本人曰く「早口になっていった」と言われて、それもあって個人的に英語を学ぶなら鍛えるなら、徹底的に耳を鍛えろが持論になっています。
その「イメージが頭の中に浮かぶ」時に、それをどの様に解釈してどの様に反応するかは、その人の能力だったり経験値によって大きく変わると思うんですよね。あるいは、感性や感情の豊かさ豊富さみたいなものも影響するだろうし。その時に、そう言う知識や経験をどれだけ蓄積できているか、どうしたら一番効率的に蓄えることが出来るかと考えたら、日本に住んでいるならやっぱり日本語をしっかり学んで社会で経験して磨いていくことだと思います。だから姪っ子が子供に幼児教育で英会話教材を使っていたときも、耳の訓練として音慣れさせるのは良いけれど、変に詰め込みすぎると後で後悔することになると何度も注意したものです。英会話教材を聞いている時間が有るなら、一緒に遊んだり絵本を読んだりあるいは色々な場所に出かけるなどして、社会情報の蓄積を子供の頃は沢山やるべきだと思う。それによって、語彙も増えるだろうけど、知識の深さと言うか厚みが出ることによって、類似情報を受けたときの反応の幅が広がるんじゃ無いかと思います。それが英会話や他の言語の習得においては、確かな基盤として存在してくれるから、その上に新しいレイヤー構築するときに凄く役立つんじゃ無いかと。そういう気付きを得られるという意味では、日本国内でも外国の人と接する機会が増えていることは良いことなんだと思いますね。次は、その切っ掛けを生かして海外に出てくると、また新しい視点を得ることが出来人生が豊かになると思う。
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