2023年2月7日

「オフレコ」と"Off the Record"

昨日の「毎日新聞的オフレコ」の話、 どうも朝日新聞も「オフレコ」は同じ定義らしい。そうなると、読売新聞や産経新聞等の見解も聞いてみたいところだけれど、個人的にはどうもメディア側が自分達の都合の良いように解釈しているようにしか感じられない。

で、さすがネットワーク世界は偉い。AP通信の定義を紹介している方がいて、それによれば

  • オフレコ(Off The record)の場合は、匿名だろうが何だろうが、取材内容の公開は駄目
  • 毎日新聞が言う所の「オフレコ」(匿名での引用可)は"Background"
  • 匿名引用も不可だが、情報自体は報じて良い物は"Deep Background"
と区別されているらしい。

その上でこの方は、公益性があればオフレコの約束は破っても許されていて、今回の問題はその典型例と書かれています。

個人的に疑問に感じるのは、少なくとも国内でのこの手の報道って、前後の話の流れとかその時の様子等抜きに、単に「言葉だけが切り取られる」場合が多々あるので、それだけでは判断しづらいという事。さらに、荒井氏は政府高官の一人なんだろうけど、このマイノリティーや同性婚と行った問題にどの様に関わっていたのか、あるいは責任者の一人だったのか、それが分からないからどの程度の「公益性」が毀損される可能性があるのかも判断が出来ない。仮に荒井氏が中心人物の一人であるとしても、彼の考えがやや批判的であっても、より中立的な考えをするのであれば問題無いと思う。政府高官ではあるけれど、直接的にはこの問題には関わっておらず、あくまで個人的な考えを述べたのであれば、職務的には不適切と思うけれど、どういう考えかは個人の信条な訳で、本来の「オフレコ」の意味であれば少なくとも今は取り上げる必要性は低い気がします。仮に、

自分は否定的な考えを持っているが、職務として任命された以上は自分のような人間も対象となる人達も、どちらも理解して納得出来る政策実現を目指したい

と言ったら、それでもこの人達は批判するんだろうか。

大切な事は、全員が納得出来る答えを見つけることなんだけれど、それって答えを一つにまとめることでは無いと思うんですよね。基本的には、選択肢を増やしていくことが「多様性」だと思います。で、法律などの改正とか、社会構成や環境の変化でそぐわなくなってきた選択肢が淘汰されていく、と。だから、場合によっては相反する内容が並立する可能性もあると思うし、そこまで行かなくても、「これ、結構違うんじゃ無い」という事も有るでしょう。でも、そういう場合は、自分に関係な所は「気に掛けない」という態度で接することで、互いに干渉されないし干渉しないバランスが生まれてくるんじゃ無いだろうか。これも所謂「キャンセルルチャー」の一つではないかと思うんですが、否定するだけでは何も生まれないと思います。批判はするけれど、そこから次の何かを見つける努力をすることで、もう一つレベルアップ出来るはずなんですよね。でないと、犯罪を犯した人間の更生だって認められなくなるんじゃ無いだろうか。

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