2023年2月16日

成田は遠くになりにけり

成田空港の敷地にある、空港反対派の鉄塔撤去の強制代執行が行われて、その様子等がニュースの映像などで流れてくるんですが、50年近く前の空港開設前の「成田闘争」を彷彿させるようなタイムスリップしたような映像にビックリ。いゃいゃ、この時代に「全学連」ののぼりですよ。更にヘルメットには黒いテープで「中核」との文字。抗議行動をする権利を理解するけれど、ああいう行動様式には時代錯誤というか、多分本当に空港反対が目的なのでは無く、それを理由に騒動を起こすことで自分達の存在意義を感じているあるいは共感を得ようとしている行為なんだろうなと、冷めた見方しか出来ない。 

今でこそ日本の空の玄関口である成田空港(当時は新東京国際空港)は、国と反対派の戦いの歴史の上に生まれたものであることは、多分自分くらいの年代以前の人なら良く知っていること。最初の空港建設予定の時のボタンの掛け違いが、その後の激しい反対運動を生んだと思うので、その点は国の責任は大きいと思うし、その点に関しては後に国も謝罪していると思うのですが、それを切掛に入り込んだこういう過激化が、今でも続いている事には何ら理解も出来ないし、彼らの主張に関しても賛成出来ない。

今でも空港反対派の敷地が空港内に点在していて、だからこそB滑走路とターミナルビルの間の誘導路は歪に蛇行しているのですが、昔はもっと酷かったですよね。最近はやらない(出来ない?)のだろうけど、以前は着陸する飛行機に向けて風船を飛ばしたりして妨害工作なんかもしていましたからね。いゃ、それマジで事故に繋がったらどうするんだろうか。未だに記憶に残るのは、確か最初の空港開設日前に過激派が管制塔を占拠して、結果的に開港が半年くらい遅れたこと。それもあって、最初の頃は空港に入る前にパスポートチェックが合ったりして、凄く大変な空港として開港したわけですが、今では例えばJRや形成の改札を出たところに、当時の検査用ゲートが名残で残っているくらい。今利用して居る殆どの人は、あんな時代が会った事なんて知らないでしょうね。

成田空港は、C滑走路の増設、B滑走路の拡張、さらには新ターミナルビルの設置と、空港開港から50年を節目に、次の時代を開きつつあります。今の空港開設時には、反対派の言い分にも分があったと思うけれど、やはりその後の過激派の活動にシフトした時点で、その正統性は無くなったと思う。沖縄の辺野古もそうだけれど、本来の言い分・根拠には理解出来ても、そのやり方と言うか、いつの間にか根拠がすり替わっていることに疑問を感じるし、実際そういう部分に多くの場合不信感を感じるんじゃ無いだろうか。外野が勝手なことを言うなと叱られるかもしれないけれど、今敷地内で生活している幾つかの家族というか人達は、どういう気持ちなのか。これまでの記録や自分達の言い分を何らかの形で公に残すことを条件に、もうもっと静かな環境に移ったらどうだろうかと、今朝のニュースでの映像とか見ていると感じます。想像ですが、多分当時の反対運動に参加していた人達から、もう世代交代しているんじゃ無いだろうか。そうならば、子供の世代がツケを未だに払わされるようなことは、もう終わりにしてもいいきがします。実際、当時は反対の機運が高かった周辺の市町村も、今では空港をコアとして地域振興をしようという方向に変わってきているわけですからね。「中核」とか書いたヘルメットが搭乗してきた時点で、もう彼らの反対運動は終わっていると思う。

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