昨日は朝から夜まで北朝鮮がミサイルを打ち上げて、何度もニュース速報が表示された一日に。そんな中で、北朝鮮の弾道ミサイルが日本海上空で爆発したのか、その軌道警報が錯綜したり、日本上空を通過した後に通過警報が出されたりと、そのちぐはぐな対応に批判が出てきたりと、色々と問題点も指摘されています。TLを見ていたら、昨日日本に出されたJアラート(空襲警報)は、戦争状態にあるウクライナのキーフで出された回数よりも多かったという書き込みも合って、一寸考えさせられる状態に。
結果的に、正しく弾道ミサイルの軌道や状況を警報出来なかったJアラートに対して、批判するメディアも見られ増す。それを批判するのであれば、もっと精密に観測や警報がだ去るような防衛体制が必要な訳で、その為には観測鑑定をもっと対象地域に近い場所に常駐させるような事とか、日本国内からでも常に監視できるような設備が必要。さらには空中・宇宙空間らの観測機能も必要になるわけで、早速小型の衛星群による監視網の話も出てきているみたいですが、そう言う話を彼らは賛成するかと言えばそうでも無いわけだし。それに、観測技術だけで無く、実際に日本国内の米軍基地やその他国内の設備を対象にミサイル攻撃があった場合には、それを迎撃する機能も必要なわけで、どうしても盾と矛両方の対応が必要。でも、そう言う事を言うと一部界隈では「軍事大国云々」という事を声高に言い出すんだろうなぁ。
昨日の一連の動きから、メディアの報道の一部では「Jアラート必要か?」みたいな事を伝えている番組もありましたが、それって「狼少年」の逸話を思い起こさせるわけですよね。このままJアラートが何度も繰り返し、その度に遅いとか誤報だとか不正確だと言う話が伝わることで、本当の危機が訪れた時に誰もJアラートに関心を向けることが無くなってしまうことが恐い。イソップの寓話では、嘘を繰り返した羊飼いの少年が、最後に狼に羊を食べられてしまい困るわけですが、このJアラートでは羊飼いの少年に騙された側の村人が被害に遭うわけで、ちょっと立場が違う話になるんですよね。何度も繰り返されて、警報に鈍感になってしまうところまでは同じだけれど、そのしっぺ返しを受ける側が寓話と現実(Jアラート)では違うことは、もっと真剣に考えるべき話だと思う。
それは人間として仕方ないのかもしれないのは、あれだけ大きな被害があった阪神大震災や東日本大震災の合った後でも、暫くするとその教訓や記憶はどんどん薄れていってしまう。福島第一原発の被害に過剰反応をして、全国の原発を停止したために、電力不足だけでなく、その為に導入した再生エネルギー特に太陽光発電が、10年過ぎて問題になってきています。また脱原発ということで火力発電にシフトすると、ウクライナ危機で世界的にLNG需用が高騰したりと、結局は一つのリスクや危機を経験したら、それを回避する努力は勿論、万一の時のためにリスク分散を考えるべきなのに、単に反対の対策太極の対策に安易に移行しようとするから、悪手を自ら選んでいるように見えますよね。Jアラートにしても、その警報信頼度の低さを批判するために、逆に先ずは警報発令第一で出したら、今度はもっと精密な観測をしろという話になるんだろうなぁ。で、そのうちに信頼性の低い警報は出さない方が良いみたいな話になって、その直後に本当にミサイルが撃たれて問題になるみたいな。Jアラートを「無駄」と言ったら言いすぎかもしれないけれど、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは言うけれど、事安全とか命に関わることに関しては、足りないよりは多すぎる方が必要だと思うなぁ。
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