2022年10月26日

SNS時代の文章術

佐々木俊尚氏のnoteから、SNS時代に求められている「文章術」について。 無料部分だけを読んでの印象ですが、昔は文章と言えば印刷された媒体しかなかったから、どうしても表現が回りくどくなったり長くなったり、また最悪の場合何度か読み返してく貰うことも想定できるから、どうしても表現が「重く」なっていたように思います。それがスマホ時代になり、さらにはLINE等のインスタントメッセージ/ショートメッセージでの会話だったり発言が中心になってきたから、どうしても文字数は減ってくるし、簡単に自分の意志を伝えられるように短い言葉や短縮語みたいなものが中心になってきたのが今だと思います。

自分は子どもの頃はどちらかというと引きこもり気味の子どもだったから、自宅で本を読むのが好きで、それ故に「文字」には凄い親しみを感じるようになりましたるそう言う事も有ったから、就職して最初の頃はマニュアル作成に一寸関わるような部分があり、それが結構性に合ったような気もします。そこから、仕様書とかのドキュメンテーションの仕事も嫌々ながらでもそつなくこなして、それ故に開発中の文書化とか開発終了後の技術書の作成・保管みたいな事も、そんなに嫌では無かった。そう言う意味では、文書を書くこと残すことには、何となく抵抗感を感じる事無く現在に至るような気がしますね。ただその弊害として、開発系の文書なので文学的な余り回りくどい文章は書かないのだけれど、どうしても疑問点や不明点を残さないように記述する癖が付いてしまって、説明が長いというか、事細かに表記したり表現しないと気が収まらない性格に(笑)。それ故、文章は短いのだけれど、文書量は多くなると言う弊害が。それって、印刷物とかドキュメンテーションの世界では、まぁ問題無いのだけれど、ネット社会になって行くと嫌われる傾向何ですよね。

もう一つ、これは小学生位の頃からかな、読書感想文とか何かの発表会の資料とか書かされることが結構多くありました。まぁ時には何かの発表会で賞を貰ったりしたこともあったんですが、それが中学生になると生徒会みたいな活動も入ってきたりして、さらに高校生になると途中からクラブの主務みたいな仕事をやらされたので、父兄への連絡文書とか色々な活動報告とか、よくよく考えてみたら随分昔から「文書」を各人生だったなぁと(笑)。そんな中でよく言われたのか、どうしても説明口調で文章が長くなるので、一つの文章は短く1行にまとめる。長くても2行以内にする、と言う事は今でも気にしている部分。書き手して何か勉強しているわけでもないので、どうしても口語口調でだらだら打ち込んでしまう癖は、今でも時々出てしまいますね。で、短い文章を書くことを意識すると、佐々木氏が書かれているような「太宰メソッド」あるいは、責任の所在を曖昧にするような言い回しも減ってくる気がします。余計な言葉を減らさないと、文章は短くなりませんから。ただ、その弊害としてちょっと難しい言葉遣いとか慣用句とか、あるいは諺みたいな言い回しが増えてきて、逆によく分からない文章に簡略化される危険性もあるかなと。如何に平易な言葉遣いや文章で、重要な事の要素を効率良く伝えるか、と言うのが文書術の極意だと思うし、その究極が「俳句」だったり「川柳」だったり「短歌」という日本の文化にも繋がるのかなぁと感じています。

あと、以前から言われていて、その後仕事で英語を使うようになって凄く意識したのは、その文章の中で「主語」をしっかり主張すること。「誰が」という事を最初に決めると、その後の表現も具体的にせざるを得なくなるんですよね。逆に主語を明確に決めないと、その後の文章は幾らでも曖昧に適当にする事が出来る。そうすると、読む人にとって都合の良い文章に仕上がるから、結果的により多くの人が何となく共感できてしまう文章になるので、そう言う仕事の人に取っては有利になるのだろうと。それがSNS時代になるとどんどん加速していくんだろうなぁ。そう言う意味では、「絵文字」という存在も日本語らしい特徴で、あれって言ってみれば「漢字」の代わりと思えば結構納得出来るかも。勿論英語でも、"Smile"の代わりに":-)"の絵文字を使っても良いのだけれど、英単語と絵文字(Graphics)の同居ってどうも居心地が良くない。でも、元々は「絵」、象形文字から生まれた漢字だと、何となく収まりがいいような気がする。これもこじつけかなぁ... (笑)。時代とともに、言葉の意味や使い方もどんどん変わるけれど、同じように書き方や綴り方、さらには漢字やかな等の「文字」も変化する時代になるんでしょうね。

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