2022年10月26日

それは言い逃れの気がする

テレビ朝日の篠塚浩社長が、「羽鳥慎一モーニングショー」での玉川徹氏の「制作者としては...」の発言に関して、同局や番組制作上の姿勢ではなく、開くまで国葬についての論評」と強調下という記事何ですが、それって苦しい言い逃れだと思うなぁ。玉川氏は、国葬儀の中での菅前総理の言葉に関しての発言ではあったけれど、その菅総理のメッセージは電通によって作られた可能性が高く、なぜなら自分も以前ディレクターとして経験していたから、と言うような内容だったわけですよね。その前半だけを取り上げて「あれは国葬に対しての発言」というのは、半分は正しいけれど、残り半分の説明にはなっていないと思う。

仮に、テレビ局の責任者が玉川氏の発言を認めて、意図的に番組内容に手心を加えていたことを認めてしまったら、それこそ「第二の椿事件」になってもおかしくないわけだし、多分叩けば埃も出てくるだろうから、絶対に認められない事柄。しかし、その部分は必ず問いただされるだろうから、「あれは国葬に対しての意見」と矛先をずらすことで、このまま有耶無耶にして終わるつもりなんでしょう。大体、取材するほうも同じ穴の狢な訳だから、もしかしたら自分の会社・放送局もやっていたかもしれない行為を認めるわけにも行かない。

「発言はあくまで国葬について論評したものと考えている。論評する上で、事実関係に誤りがあったので、それで謝罪訂正をした」

「論評する」理由として、玉川氏は自分がディレクター時代の事を引き合いにして説明しているわけだから、「国葬の論評」と、その裏付けとなる「自身の経験」は別の話だと、後者に関しては何も説明も釈明もしていない。それが玉川氏だけの行為であったならば、逆に玉川氏を今回復帰させるのではなく、その責任を問うべきなのでは。彼だけの行為や認識ではないから、逆にその部分には触れずに、10日間の謹慎で事実上の報道番組への復帰させる事で、あえて触れなかった後者の話をこのまま希薄化させたいと考えているように感じます。

この手のテレビ局あるいは新聞社などメディア企業が起こした不祥事の釈明で、自分が記憶する限りではスッキリした腑に落ちる説明を聞いた記憶は無いですよね。何処の会社・企業に於いても、やはり自らの不祥事は認めがたいし、もしかしたら放送免許停止・剥奪に繋がる可能性があれば尚更だろうし。ただ、同じような事を別の一般企業が起こした場合、彼らメディアは執拗に追求して、責任を追及するのだけれど、それって矛盾と言うか卑怯とすら感じられる行為。これだけ社会的に大きな影響力を持ち、かつ「第4の権力」として、他の権力監視の役割も事実上担っているメディアとしては、他の権力、立法、行政、司法が問題発言をした時と同じ批判や対応をするべきだと思う。

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