2022年10月26日

野田氏のスピーチ

昨日の国会での、野田元総理の安倍元総理への追悼演説は、立場は違えど多くの人達から高い評価を受けています。菅前総理の追悼演説もある意味感動に近いものを感じたけれど、野田元総理の演説も苦しい立場を経験した人にしかわからない、ある意味「同士」的な共感を持った者だけが理解出来る内容だった気がします。

私は、旧民主党が政権を担っていた3年3ヶ月は、日本の憲政史上最悪の期間の一つだと思っているけれど、その中でも最後の一年余りの野田政権は、何とか評価出来るレベルであるとは思っています。まぁ、その前に二人が余りに酷かったので、相対的によく見えるというのはあると思うけれど、それでも野田政権が始まった時には、それまで最低最悪な民主党政権の2年天だったけれど、少しは持ち直すのかなと言う微かな希望を感じたことは記憶しています。結局、余りにそれまでの政権運用が拙くて、もう多少の改善では追いつかない状況にまでに至っていた事が致命的で、民主党政権は再浮上することなく現在に至るわけですが、もし野田氏が二代目、あるいは初代の首相だったら、もしかしてのもしかして、日本に二大政党制の世界線が生まれたかもしれない気がします。

日本では、競争相手の事を「ライバル(rival)」と最近ではよく使うけれど、英語でのニュアンスって、もっと深刻な印象なんですよね。"Rival"の語源は「川」の"river"から来ていて、元々は川の水利をめぐる川の両側の人達の利権争いという、命を賭けた戦いの意味と聞きました。それだけ、血で血を洗う戦いが「ライバル」なので、スポーツとかビジネスの世界に当てはめたら、それこそ相手を打ちのめす、引退させる、場合によっては命に関わる位の衝撃を与える位の行為を意味するので、気軽に"rival"という言葉は使わない方が良いとも。そう言う意味では、日本語には「好敵手」という言葉があるわけで、それちらの方が相応しいと思う。最も、最近の辞書には「好敵手」の意味・定義として、「力が同じ位の良い相手、ライバル」と説明されるくらいだから、カタカナの「ライバル」と英語の「rival」は違う言葉と思った方がいいと思う。で、この二人の場合は、やはり「ライバル」よりは「好敵手」と言う言い方の方がしっくりくる気がします。

結果的に野田政権は1年余りの短命政権で終わったのに、第二次安倍政権は9年近くも政権を担う最長政権となったわけで、そう言う意味では批判も多いけれど、総合的には安倍氏の方が良かったことになるんですが、それもあの民主党政権の後だからと言うバイアスも大きいと思う。そう言う意味では、タイミングさえ違ったら、民主党vs自民党という二大政党制とか、民主党と自民党が大合同して「新自由民主党」みたいなものが生まれたかもしれない。それで日本が今以上に良い時代社会担ったかどうかは分からないけれど、そう考えると野田氏は生まれたタイミングが、政権を担ったタイミングが悪かったことが悔やまれるますね。野田氏の演説を聞くと、今の立憲民主党やその周りの野党に対しての批判・批評も含まれている気がするんですが、それを聞いた彼らはどう感じるんだろうか。余計なことをと思うのか、ここで心機一転現実的な政党・政治家に脱皮するのか、それが出来れば日本も今以上にもっと良くなる未来が期待出来るけれど、結局はこの10年間それが出来ていないから今の体たらくなわけで、多分今回の演説も今日には忘れられて、いつもの無駄な時間が国会は流れていくんだろうなぁ。

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