昨日の夜のニュースでは、渋谷のスクランブル交差点でのハロウィン前夜の様子を流していたけれど、3年振り(?)に制限がほぼ無い状態と言う事で、コロナ禍以前に近いくらいの人出があったらしい。一方でソウルの繁華街、梨泰院では混雑した街中で大規模な転倒事故が発生し、今の所の報道では150明知会志望者と、多くの負傷者が分かっているらしい。韓国も、コロナ禍での外出制限が解けて、その反動で梨泰院には数十万人が押しかけたらしい。まぁ、そうで無くても盛り上がりは目を外すこのイベント、ここ3年はコロナ禍で自粛自粛が続いていたから、その反動も大きいだろうなぁと言う事は想像するまでも無い。
私が初めて「本物のハロウィン」にであったのは、初めて仕事でアメリカのフロリダに海外出張した時。1989年10月の最後の週末に、この時が海外出張2回目の自分が先輩・後輩社員2人の添乗員も兼ねて出かけたんですよねぇ。前日には、町田の東京ハンズ(現ハンズ)に言って、先に出張している先輩社員からリクエストが有った、ハロウィン用の仮装用品とか、お握りの愚妻とか、色々買い込んで渡米したのが、1989年10月28日の土曜日。途中経由したシカゴのO'Hare空港(ORD)は、空港スタッフはみんな仮装していて、現地に到着してHertzのカウンターに行ったら、そこの女性スタッフも悪魔の過疎医をして居て"Hi!, Happy Halloween!"とか言われてビックリするし(笑)。で、週明け30日だったかな、会社でハロウィンパーティーやるからと仮装して、あと日本のお握りを持参したふりかけで色々味付けして持参したりして人気を博しましたが、それでも向こうの人達のHalloweenは子どもが中心で、大人が盛り上げ役で仮装することはあっても、今のように外に繰り出して騒ぐという事は、少なくとも当時は無かったですよねぇ。
その当時、既にハンズで仮装用のコスチュームとか返信用の髭眼鏡とかをハロウィーン用品として販売していたけれど、今思い出すと忘年会用の仮装グッズ、パーティーグッズを少し早めに店頭に並べていた、位の印象なんですよね。当然、その時のように会社に仮装コスチュームで出勤したりする事は有っても、そのまま夜外で騒ぐことも、それこそ渋谷のスクランブル交差点とか梨泰院の様に大人数で集まることも無かったと思います。あれって、渋谷で始まったことじゃないだろうか。15~20年位前から。それが韓国にも伝わった気がするなぁ。だって、言ってみれば韓国は日本以上のキリスト教の国柄な訳で、ハロウィンの意味だって、日本のように騒ぐ理由付けではく、本来の意味の方が強いはずだろうし。渋谷のマネをしたとは言わないけれど、渋谷でのハロウィンの様子が世界に広がって、それに影響を受けた特に若い世代が盛り上がって、そこにコロナ禍の我慢の限界が敗れて、と複合的な原因が絡み合った不幸なんでしょうね。
日本でも一番大きなイベントの一つになり、ビジネス的にも無視できないくらいの規模になった「和式ハロウィン」。渋谷や大阪の道頓堀での騒動は行きすぎだと思うけれど、あれって「仮装」という要素が加わっているのが、日本人のオタク心をかき立てる気がする。私は画面でしか観たことが無いけれど、何となくコミケとかの熱狂にも近い気がするのは気のせい? ハロウィン以前に日本に定着していた「クリスマス」は、比較的本来の意図や方式に近い形で日本でも親しまれているけれど、ハロウィンは「仮装」という部分が強調されすぎて、それ故に日本人が上手く「加工」して取り入れたイベントに変化した気がしますね。とは言っても、それ故に歯止めがきかなくなっていくのは、以前のコミケ何かも同様。今週末の渋谷が平穏に過ぎていくことを願う次第ですね。
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