2022年9月25日

稚拙な広報活動

「朝日新聞映画班」なるアカウント名なのだから、そこで映画紹介するのは当然だと思うけれど、その紹介している「映画」は今公開してそれを紹介するべきなのか個人的には大きな疑問を感じるし、実際ネツトでも批判意見の方が多い気がする。

映画の内容にしても、 記事によれば「3日でシナリオ初稿、8日で撮影」と、かなり短期間に即興的に作成された作品のように思います。長時間シナリオ作成をしたから、長時間撮影日数を掛けたから良い映画が出来るとは限らない、と言う事は事実だと思うし。大作映画等では「構想〇〇年、撮影××年」とその期間の長さを強調する場合は有るけれど、短期間で作成された映画でそう言う宣伝は効いたことが無いので判断が難しいのだけれど、ヒット曲などでも「これ30分で作りました」みたいな、閃きから生まれた曲でもヒットするので、映画でもそういう部分はあるでしょうね。まあ、その制作期間が1日だろうが数年だろうが、映画を作成する事は自由だし、それが商業的に成功するか否か、社会的にどう言う評価を受けるかは、それぞれの人の自由。

多田今回の映画は、容疑者は明確に分かっているけれど、その本人に直接取材したわけでは無いと思うし、まだ裁判自体が始まっていない状態。今公になっている情報は、多分その多くは容疑者の伯父さんなる人の発言が殆どでは無いかと思うのですが、肝心の容疑者と事実上殆ど接触できないのに、その容疑者の心情を描くというのは、事件をモチーフにした「創作」じゃないの。大体この映画、ドキュメンタリーでも、ノンフィクションでもないわけですし。それに、こう言う大事件が発生した時には、社会的影響を考慮してテレビ等でも同類の内容の番組だったり、映画のテレビ放送を中止したりするわけですが、そう言う配慮は朝日新聞社にはないのだろうか。「報道」の範疇ならばまだしも、これ、報道ではなくて「広報」ですよね。

しかも記事を読むと、「元革命家の監督」が「英雄視しない」と見出しに出ているけれど、肝心な部分は有料記事となっていて、詳細は分からないままなのだけれど(だから普通は個人的には朝日新聞の記事は取り上げないのだけれど)、何かこの映画は容疑者の行為を肯定的、あるいは心情的に近く寄り添って評価している印象を受けます。また、国葬に合わせて公開することの意図も、わざわざ世間に対して自らの意志を増幅して拡散セル目的のようにも感じられるし。本当に容疑者の心情やその背景にある心の葛藤などを描き出したいのであれば、国葬という世間の喧噪が終息して落ち着いてからじっくりと評価して貰っても良いのでは。もう裁判が結審間近で、違法な判決が出る可能性が高いので何とか真実を伝えたい、とか言うならまだ分かるけれど、裁判すら始まっていない状態で、世間的に注目が集まるイベントにぶつけるために異例のスピードで制作して、それをあの新聞社が取り上げるという、何か出来合レース見たいな気がします。だから朝日新聞ではなく「朝日広報」とでも言えば良いのかな。

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