2022年9月14日

欠席アピール

 演出家の宮本亜門氏のところにも、安倍元総理の国葬義の招待状が届いたけれど、俺行かないもんねの「欠席アピール」

蓮舫議員、辻本議員を筆頭に、複数国会議員が「欠席アピール」しているのに乗じたのか、あるいはそれがかっこいい行為と思っているのか、はたまたなにか特別な恨みつらみを安倍元総理に持っているからなのか、こういうことをそれなりに有名な人が堂々とやってしまうことに、なにか社会が変異しているというか「あぁ、こういう人たちとは同じ空間や時間を共有したくないな」という気持ちし乾いてこない。

「なぜ自分に送られてきたのか」と宮本氏は疑問を書いているけれど、安倍政権は 9 年近く続いたわけだし、その間に演劇とか芸能関係で接することもあっただろうし、仮に芸能関係にそれなりの人数枠を設けていたとしたら、底に入るくらいの知名度や実績はある人だろうから、特に不思議はないと私は思う。「自分の住所は教えていない」とも言われているようですが、そんなもの普通お仕事以来のためになにかの連絡先は公開しているだろうし、調べればわかることだろうからそんなに不思議なことでもないだろうし。それでも、意図しないで招待状を受け取ったとしても、送る側だって「誰それに送りました」とは言わないのだから、そのまま不問に付して黙っていればいいだけの話だと思うのに、こうやって世間にアピールしないと気がすまないのだろうか。

例えば、安倍総理と入魂で絶対あの人は参加するだろうと思われいる人が、どうしてもなにかの理由で欠席せざるを得ない場合なら、「○○の理由で欠席します。ご冥福をお祈りします。」くらいのことを周知させるのはありだと思います。変なノイズ( 実は犬猿の仲だったとか誤解されるような情報拡散を事前に防止するために)を出さない対策としてならわかるんですが。そういう意味では、参加対象として事前に言われている元や現国会議員が「デル・でない」ということを言うのは、まだわかる。ただし、そのやり方は下品だったと思うけれど。一般の葬儀にしても、ああいう時にその人の本性というか本来の人柄がよく出てくるもんですよね。生前は毎日喧嘩ばりしていた相手が、号泣して死を悼む何言うドラマみたいな話も。そこでその人の人間性が現れるのは、なんとも皮肉なような気もします。

一〜二年くらい前かな、確か当時はコロナ禍の真っ最中で、演劇とか舞台が事実上閉鎖状態だったときに、なにか番組で政府の新型コロナ対策を批判しているような光景を見たんですが、あれ、この人こんなに過激な物言いをする人だったんだと驚いた記憶があります。演劇関係だと文字通り死活問題の状況った時期だと思うけれど、それにしても親の方のような言い方にすごく違和感を感じた記憶が。演劇とか演出とか、芸術関係の人は感性が研ぎ澄まされている文、感情を発露することも多いのかもしれないけれど、個人的にはちょっと近くにいてほしくない性格の人だなと正直感じましたね。理系の人間だからかもしれないけれど、論理とまでは言わないにしても筋の通らない用な言い方をする人はどうも苦手だし、一言目から感情的な言葉になる人はもう論外。でも、今回の件でよく見てみると、そういう人が危機として「欠席アピール」しているように感じるので、案外自分の感性は間違っていないのではないかと思っているんですが。人を感動させドラマとか演出を作るのは、決して舞台やテレビの画面の中だけの話じゃないと思うんですよね。日常のちょっとした時に、やはり人としての片鱗がよく出てくる気がする。

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