岸田総理が会見を開いて、新型コロナ陽性者の待機期間短縮(症状有り: 10日→7日、無症状: 7日→5日)や、国葬儀についての話等したわけですが、どうもネットやメディアの反応を見ていると、相も変わらず「説明不足」という反応や、「もっと丁寧な説明を」みたいな言い方をする人が殆どのように感じます。 別に岸田総理の説明だけで無く、世の中一般の話として、相手の話を聞いているだけで理解出来る事なんてそんなに無い。相手の説明を聞きながら、自分の理解と付き合わせるとか、疑問点や不明点を明確にしてそれを再確認するとか、自分なりに咀嚼して受け入れられる内容なのか判断するとか、そう言う「自分側の作業」が動いて初めて「自分は理解した、納得した・納得出来ない」という態度が決まるもんだと思うんですよね。
だから、「説明不足」と言うのであれば、「どの部分・どの内容が説明不足」なのか言わない限り、それって単に反対したいが為に言うだけの「セリフ」だと思う。例えば、国葬儀の経費に関して、現在分かっている物(会場設置など一般入札で確定しているもの)と、今後の状況で決まる物(警備費や接遇費)等分けて説明しているのに、何故か今回の会見で、その警備費等も含めた概算費用として「16億6千万円」という額が、最初に入札で決まった「2億5千万円」から「増えた」と伝えるメディア。いゃ、未定だった部分を概算で追加したわけだから、増えたわけでは無く、全体として未確定だったものが具体化された物でしょ。最初の2億5千万円の時だって、それ以外に警備費や接遇費が予想されるけれど、まだ未定と言っていたのだから。でも、メディア以下にも、10倍近く経費が膨れあがったように伝えるし、それを聞いてか聞かずか不明だけれどインタビューを受ける一般の人は「経費隠しだ」と憤る様子も。とあるコメンテーターは、全部の経費が分かってから発表すればこんな混乱や誤解は無かったと言っているけれど、早く経費を出せと言っていたのも野党や彼らなんですよね。だから分かる範囲で発表すれば、金額がおかしいと言い、追記すれば遅いとか騙したとか。兎に角どう言ったってイタチごっこになるんだからなぁ。
国葬儀に参加を強制させられるのは憲法違反と言っていた政党は、「不参加」を言っても別にお咎め無しな訳で、自らその主張の根拠の無さを証明する事に。税金の無駄遣いというけれど、そう言う仕事をしないでいる国会議員の一日の経費が3億円と聞けば、ならばもっと仕事しろよで終わってしまうし。確かに「億」という単位のお金は、殆どの人にとっては「大金」であり、大きな金額ではあるけれど、それを税金で慣らしたら実はそんなでも無い。16億円だって、国民一人当たりに慣らせば12~3円位。社会保障費なんて、年間30兆円以上出ているわけで、そちらを例えば一割削減したら凄く大きな減税になると思うけれど、でも「聖域」と言ってそこには触れないんですよね。
新型コロナに関しても、ワクチンを接種しているのにマスク着用はおかしいとか(排他事象では無くどちらも感染対策)、ワクチン接種している方が感染している(母集団の違い)とか、何か0 or 1で決着を付けたがる意見が主流になっている気がするけれど、それがそのまま「国葬儀をやる・やらない」とか「ワクチンを打つ・打たない」とか、両極端に意見集約をしようとする傾向が、元々強かった日本人気質がますます先鋭化している気がします。その理由が、明確に問題点を指摘しているなら良いのだけれど、単に自分が理解出来ない・理解したくないから駄目見たいな、感情論でしか反論していないし、それに対しても感情的な反論ばかりしか表に出てこないから絶対に終息しない議論ですよね。そういう部分で憂さ晴らししているようにしか見えない。しかも、それなりの社会的肩書きを持っている人達が感情論であるいは感情的な意見しか言わないことが、最初から「言っても無駄」「言っても聞く耳持たない」というため息しか出ない世の中に、こちらがため息したい位。
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