2022年8月27日

欠席裁判?

河野太郎消費者相が29日に招集する霊感商法対策を話し合う有識者検討会に、8名が選ばれたのだけれど、その中で最近メディア等で活躍している紀藤正樹弁護士が含まれているのは、公平性の視点辛いって問題無いのだろうか。良くも悪くも今一番話題になっている「旧統一教会」が議論の中心になる事は仕方ないのだろうけど、霊感商法被害はそれだけでは無いはずだし、それだけを私有注して審議する事は、それこそ政治が宗教を侵害することになるのでは。

具体的に旧統一教会の霊感商法に関して何か話をするのであれば、それは裁判が一番適切な場所だと思うし、その中で例えば現行法の不備であるとか、被害者救済策が必要と言う事になれば、そこで初めて政治の出番になると思うのだけれど。最初から特定の団体なり話題を前提に話をする気満々で、しかも一方の利益代表・中心人物を代表者に据えながら、もう一方の利益代表者はその場に居ないというのは、それこそ「欠席裁判」と言うべき物のように思う。 

ここ数日、自民党議員と旧統一教会関係者の接点が問題視されて大きく取り上げられているけれど、それが野党議員だったりメディア側との接点が取り上げられると、級のその議論の矛先が変わったり鈍ったりしている気がします。対象が広がっただけで、問題の本質である「被害者救済」という部分は全く変わっていないのに、何故か議論の方向性だったり内容は段々と曖昧な感じになっているのは、当初の目的から話を広げていき、何となく「正しい」という雰囲気でこの議論を終結させようとしているんじゃ無いだろうか。良くある「主語を大きくする」論法とかみたいな印象を受けます。

今の報道を聞いていて一番疑問を感じるのは、その霊感商法が今現在どれだけ発生(被害額や被害数)していて、それらがどの様に解決しているのか未解決なのか、現状が分からない事。「今も霊感商法の被害はある」は事実だと思うけれど、それが過去から全く改善されていないのか、改善されているけれどまだ取りこぼしがあるのか、殆ど無い状態だけれど更に改善されるべきなのか、そう言う理解が無いと肝心な話が一向に進まないだろうし。私自身は、統一教会所かそれ以外の宗教全般に信用していないというか、仏教と神道は田舎での日々の生活で最低限要求される「ローカルルール」くらいの理解でお付き合いしている程度の不信心物。だから、別に無くなっても良いとは思うけれど、一方でそう言う精神的な支柱というか支えを必要としている人もいるだろうし、そう言うものは、例えばタレントのファン心理とか、高い技術者に対しての憧れとか、そう言うものにも通じる部分はあると思っています。要は、そう言う機会を自分が利用して成長できれば良いけれど、今は色々な理由から取り込まれて利用されてしまう事が一番の問題。そういうところをちゃんと議論して改善して欲しいけれど、紀藤弁護士が入ってしまうと、結局は旧統一教会に関しての議論に矮小化されてしまうんじゃ無いだろうか。それが心配。

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