これも一種の「ブーメラン」なんだろうか。日曜朝の情報番組に出演した、立憲民主党の小川淳也政調会長が、旧統一教会の名称変更に関して、 「名称変更を繰り返すのはカルトの特徴」と発言。それに対してネットでは、立憲民主党をめぐる党名の変遷が貼られて祭り状態に。彼自身も、民主党→民進党→希望の党→(無所属)→立憲民主党と所属政党を移ってきているわけで、それは「名称変更」では無いけれど、確かに「何かある」と思わせるものは感じるなぁ。
名前を変えると言う事は、企業だったり組織だったりする場合、その活動目的や趣旨が変われば変更する場合も有るだろうし、合併とか企業買収・吸収みたいな外部的要因からする場合も。逆に名前は変わらなくても、内容ががらっと変わる場合も有りますよね。私が経験している例では、今銀座の八丁目にある「博品館」はオモチャ販売のビルとして認識されているけれど、自分の大学生時代にここの地下に入っていた喫茶店でアルバイトをしていた時には、婦人用の高級プレタポルテ(衣料品)のお店が入ったファッションビルだったんですよね。上の博品館劇場は変わらない無いけれど、その下のフロアーは一気に変わってしまってビックリしました。当時は結構混乱したけれど、暫くしてあれだけの規模のおもちゃ屋さんって当時は無かったし、衣料品からオモチャという転進も話題になって、結構メディアにも取り上げられて、それ故に切替もスムースにいった気がします。
名前と言えば、難読名というか所謂「キラキラ名」も最近は良くも悪くも一般的になってきていて、テレビなんかでもルビが振られた人名表示をする事も。学校では、読めない事でその子にプレッシャーが掛からないように、以前は禁止されていた「あだ名(ニックネーム)」が復活しているところもあるという話も聞き、何だかなぁという気分に。真偽の程は不明だけれど、難読名を苦にして成長してから非行に走るケースも多いようなは無しも聞くし、耐えられなくて氏名変更の届出をする場合もあるらしい。自分で選んだものじゃないところが悩ましいですよね。ただ、「名前」と言う物が自分を知ってもらう一番の目印であり、広く知ってもらうためには覚えやすい・読みやすい・理解しやすい物が一番だと思う。「印象的」という意味では、凝った難読名は該当するかもしれないけれど、結局ああ言うのって最初は印象的でも直ぐに忘れられてしまいそうな気がします。
閑話休題。「統一教会」という名称にしても、30年ほど前の話題になったときにはかなり広く取り上げられていたけれど、一年もしないうちに下火になると殆どメディアにも登場しないし、良くも悪くも「その他大勢」の中の一つになってしまいました。それこそ、その統一教会の合同結婚式で結婚した某女性アイドルが数年ごとに取り上げられたときにメディアに流れる程度で、本当に今回その名称を聞いたのは何十年振りかという感じ。元々の「統一教会」という名所すら薄れてきていた時に、その名称を変更する許可が出たのは、やはりそれだけ影響力が低下してきているという事も有ったんじゃ無いだろうか。それに、既に色々して記されているけれど、名称変更の申請が出されて、その内容に不備がなければ、担当部署としては受理しないといけないわけで、問題ならば先ずはそのルールを変更しないと。それに、そこまで宗教法人の名称変更に拘るならば、宗教法人の認可手続きも厳しくしないと、どんどん幽霊法人が出来て適当な宗教法人名がでっち上げられて、悪い影響を及ぼすとまた別の法人に鞍替えする、みたいな事がどんどん生まれるんじゃ無いの。10年位前だったか、何かの情報番組で、宗教法人の売買みたいな話を取材していて、それを校にゅすれば簡単に宗教法人を設立できるみたいな内容を放送していました。何か大相撲の「年寄株」みたいな話だなぁと当時思ったように記憶しているけれど、そういう部分も含めてちゃんと監査するなりしないと、今回の統一教会の件が終われば、また有耶無耶になって何も解決されない時代が続くんじゃ無いのか。表層的な物じゃ無くて、そう言う核心部分をちゃんと見ないと。
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