2022年7月8日

嫌なら止めれば

ここ数日話題になっている「サイゼリア」。発端は、とある人文系識者の一人がサイゼリアに行ったところ、その注文方法が記号で表すものであり怪しからんと言うようなところ。「そんな情緒のない食事では」とか「それが便利な場合も有れば、不便なこともある」みたいな話なら問題無いと思うのだけれど、「人間性が」とか「料理の味や品質が」とか、批判をかわすためなのか、単に延髄反射しているだけなのか、どんどん話の流れが横道に逸れて言っている気がする。

私はサイゼリアは利用した事が無いので、そこで出される料理なり食事が美味しいかどうかは言えないけれど、プロの料理人も含めて人気のあるチェーンの一つだし、イタリアの人でも評価しているくらいなので、決して「安かろう、悪かろう」なレストランチェーンでは無いと思う。元店長さんが書かれていることが事実ならば、多分その味付けは正直「普通」の物で、数年に一回しか食べられない用な「高級有名店」の味とは全くカテゴリーが違うものであることは事実。でも、数年に一回とか一生に一回しか食べられないような物なら、私は別に食べる機会が無くても同じようなものだと思うし、それよりも毎日でも食べているものが食べられなくなることの方が影響は大きいし困ると思う。

記号でオーダーすることの是非は、それは議論としてあって良いと思う。提供する側としては、やはりその料理についての拘りとか、選んで貰うために付加価値付けみたいな感じで名前付けすることは普通だと思うし、ある意味企業努力だと思う。一方で、そう言う名前付けを見て気持ちをかき立てられることは利用者側としても決して悪いことでは無い。でも、それを注文するときに「〇〇ソースに××の風味をまとわせた、〇〇産牛肉の××風なんちゃら」みたいな名所は、正直その通り言うだけで早口言葉みたいで個人的には「めんどくせぇ」と毎回感じます。だから、メニューを指さしながら「この肉料理」とか「こちらの魚料理」と、複数の候補から特定出来る言い方で、私はいつも注文しています。ただ、メニューを向ける方向ではスタッフさんが見にくくて分かりにくい場合もあるので通じない事も。だから、「3番と5番と、このページの21番」と注文できる方が、私は便利だと思う。勿論、そこが高級料理店なら、それなりの言い方をするとは思います下ね。例えば「肉料理のこのページの上から3番目と5番目。魚料理のこのページの下から4番目の料理をお願いします。」とか。中華料理なんかでも、中国語で書かれていて漢字は分かるけれど読み方とか分からない場合もあるじゃないですか。あれと同じだと思う。

事の発端の識者の人が、「番号・記号で言う事は、自分の学問的には好ましく無い」という発言であれば、それはそれで一つの見識だと思うし、なるほどねと感じる事も。でも、それが本来は関係無いレストランの批判に繋げてしまうのは、単なる理由無きクレームでしか無いと思うし、人文系識者のくせに軽々しく「貧しい」とか人の差別に繋がるような発言をしてしまうことの方が、はるかに問題だと思うなぁ。で、そう言う意見を言いながらそう言う場所を利用している自分自身の矛盾はどう説明するのだろうか。それが凄く疑問。あっ、後自分の偏見も含めて、人文系の人って、こう言う発言が多い気がする。と言うか、「あぁ、そう言う分野の人なのね」で終わってしまいそう。

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