今、日本テレビ系列ではSDGsをテーマに、キャンペーンみたいな事をやっているのか、番組で熱心に遡及していたりしています。SDGsという考え方に異論は無いけれど、でもそうやって見聞きする「SDGs」って、何か綺麗にまとめられた「見せるためのもの」的な印象を受けるので、ちょっと解せないというか納得出来ない感じも受けます。
例えば、環境を考慮してプラスチック製品の使用を止めて、紙製品とか木製品に変えようという運動は、なるほどと思う反面、その変更による環境負荷は本当に軽減されるのかという定量的な数値を示しても羅割らないと、何かムードだけで移行している気がするんですよね。プラスチック製ストローを紙製ストローに変更しようとしたとき、コストの面や機能の理由(紙製だと、暫くすると濡れてへなへなしてしまう)から、結局現在では紙製ストローは消えて、蓋からの直飲みや、リクエストベースで従来のストローを渡す、というような形に変わっているように見えます。別に、プラスチック製ストローが悪いわけでは無く、その廃棄方法がちゃんとしていないことが問題だったわけで、そういう部分を見ずにあるいは見せずに、格好の良いところだけ対応をして「SDGs大切ですね」と言われても、何なんだろうという気持ちしか沸いてこない。
あるいは、よく食材を最後まで使いきりましょうという話しも、最近は節約調理等と絡めてよく取り上げられます。例えば大根。これまでは捨てていた大根の葉っぱも、刻んでごま油で炒めてとか、皮も剥いて捨てるのでは無く、千切りにしてきんぴらにしましょうとか、さらには豆苗の根は見ずに浸して再度成長させようとか、そう言う努力は勿論やれば良いと思うけれど、例えば農産部に関しては、市場に出ているものだけで無く、多少の見た目やサイズ違いから、生産されても販売されずに廃棄される物も多いわけです。そう言うものをちゃんと活用しようという方が、もっと重要な話なのでは。例えば、道の駅などで農協には出せないような企画外品を積極的に扱ったら国から補助金を出すとか、そう言う捨てるしか無いもの、安値で処分するしか無いものを集めて、加工品として付加価値を付けるような事業には積極的に支援するとか。そう言う食料品を備蓄して、いざというときの支援物資にすると言うのも有りでしょうし。もっと紺本的な部分に注目するべきじゃ無いだろうかと、いつも感じるわけです。
そんなことを感じていたら、やっぱり同じようなことを感じる人はいるみたいな、こんな記事も。ビジネスでもスポーツですも、いかに自分の土俵に相手を引きずり込んで、自分に有利な状況で競争するかが勝利を握る鍵なんですが、そう言うものの一つと言われ見れば、なるほどなと感じる事も。それでも欧州等の場合は、そうやって一度初めても、やはり駄目とか違うと思えば、以前の考えを捨てて新しい方針に映るくらいの分別があるからまだましかも。例えば、再生可能エネルギーに関しても、欧州は先行していてどんどん化石燃料を廃止して行く方向に進んでいるけれど、それでも色々な自用共編かを見て、例えば脱原発にしても意見は変わりつつあるし、そういう部分は日本の同様の考えの人と比べると、まだマシな気がします。日本の場合は、一旦項と思い込むと、猪突猛進ですからね。SDGsに関しても、より環境に優しく、無駄なく、効率的で、誰もが気持ち良く生活出来るような仕組みになる事は全く問題無いけれど、それが目標では無くて、そう言う運動をする事で生まれる別のところに目標や利益が生まれるから、どんどん変な方向に行くのだと思う。世の中に絶対という方法は無い訳で、ある時に良かった考えも、別の時には問題が生まれることもある物。重要なのは、そう言う色々なことを確かめつつ、その都度その都度ベストな解決策を選ぶことで、その為には時には失敗や批判も生まれるわけです。今の世の中は、そう言う事を許さないことが一番の問題だと思う。
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