2022年6月21日

「名前」が意味するもの

ITmediaの記事から、従業員が身につける「名札」の問題について。私は、コンビニとかお店に行っても、店員さんの名札や名前を見ることは殆ど無いなぁ... 最大の理由は、目が悪いという事もあるので、よほど大きな名札に書かれていない限り、ぱっと見て「〇〇さん」と読み取れないから。あと、そこで名札を見て「あぁ、この人は〇〇さん」と理解したとしても、多分その数秒後、少なくともお店を出るときには、その名前はもう記憶に無いから(笑)。路線バスとかタクシーには「運転手は〇〇です」という表示が必ずありますが、あれも覚えた試しが無いなぁ。それよりも、特に路線バスの場合は、車内アナウンスの時の言い方とか声質とか、そう言うもので「あっ、この運転手さんは先週も同じだった」みたいな覚え方が殆ど。

で、その「名札」がカスタマーハラスメント(カスハラ)の原因にもなっているという事。理由はどうあれ、相手に自分の名前を覚えられるというのは、ある意味恐怖だしそれだけでそうで無くてもお客様に反攻できない立場がますます弱くなってしまう。以前何かの番組だったか記事で見た記憶がありますが、とある居酒屋さんでは名札に自分のニックネームとか愛称とかを書いているという話を聞いたことがあります。表向きは、親しみやすさを感じて貰うとのことですが、やはり本名を書いてしまうとお客様とのトラブルになった時に問題になることの回避策でもあるらしい。居酒屋さん何かだと、お客様も楽しみのために来るわけだから、そう言う方法も許されるんだろうけど、例えばドラッグストアーとかの店員さんが白衣を着ているのに「ミッキー」とか書かれていたら、それが逆にお客様の不満を爆発させてしまうかもしれない。かといって、鈴木さんが「田中」という名札を付けていても混乱するばかりだろうし。それなら、番号制にしてしまえばとも思うけれど、そうすると今度は人権何ちゃらみたいな人達が「人に順番漬けをするのは怪しからん」と斜め上からの反対が来るだろうし。 

話はちょっと変わりますが、最近の学校によっては学校で互いに「あだ名」を付ける事を許している例もあると聞いて一寸ビックリ。自分の子どもの頃は、「顔が長い」という理由で「馬」とあだ名を付けられて、それが嫌で嫌で堪らなかったんですが、まぁ渾名で良い思いをすると言うことは殆ど無いんじゃ無いだろうか。悪い意味で付けられたら勿論、良い意味で周りが付けてくれても段々と重荷になるというか、ある時から嫌になりそうな気がします。で、なんで学校であだ名なのかというと、所謂「キラキラネーム」つまり「難読名」に関して、当の子どもがそう呼ばれることやそう言う名前を嫌がり、あえてあだ名で呼んで貰うことを希望するという事もあるみたい。確かに、キラキラネームの当て字もそうだけれど、読み方にしても一寸昔にすれば「あだ名」みたいな物が多いですからね。となると、「あだ名」と言いつつも「太郎」とか「花子」とか、そう言う極々一般的な名前を欲しているかもしれない。そうなると「あだ名」の意味とか意図すら変わってきていることになります。

閑話休題。結局は、名札を付けている本人が悪いわけでは無く、それをある意味悪用する顧客の問題でもあるし、さらに言えば従業員を守るべき企業側の努力も要求される話。でも、「これ」という解決策は中々見つからないでしょうね。今思いつくのは、そう言う場所をカメラでモニターして記録して、万一の場合にはそれを証拠に話し合うくらいでしょうか。とは言っても、顧客相手だとかなり無理難題も飲まないといけないのが企業側の弱みでもあるだろうし。ただ、昔はそうであっても今は時代が違いますからね。切れやすい顧客が増えているのも、時代のせいなのかもしれないけれど、だからこそこれまでのように単に名札を着用するだけではなく、何か対策も必要だと思うなぁ。例えば、名札をQRコード化しておき、顧客側の身分提示をしないと解読できないようにするとか(マテ)。考えてみたら「名札」なんて言うのは、超アナログな識別子な訳で、そこはもう少し何か工夫が必要なのかも。

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