東京電力福島第一原発事故に関して、国の責任を問うた4件の集団訴訟での最高裁判決が昨日出されて、 国の責任を認めない統一判断が出されました。4件の最高裁判決では、3件が国に責任あり、1件が無しと言う判断だったので、最高裁判断も「国に責任あり」とされるのが大方の予想だったんでしょうか、「責任なし」の判決には批判というか否定的な声が多いみたい。
実は、たまたまお昼過ぎに付けていたテレビがこの様子を放送していたんですね。某司会者で有名な、午後の情報番組で、たまたまなのかこちらも有名なタレントもしている弁護士氏がコメンテーターで出演。判決が伝えられる前には、「多数決では無いけれど、4件のうち1件は責任無しだけれど3件は責任ありだから、国の責任ありと判断されると思いますよ」みたいな事を言っている。いゃ、自分の担当裁判では無いし判決は既に決まっているので言うのは自由かとは思うけれど、弁護士という立場上公共のしかも全国的に放送されている場面でそう言い切っちゃって良いのだろうか。あくまで判決が出されるまでは中立的な立場を維持するのが弁護士としての立場じゃ無いかと思うのだけれど。
で、「国の責任なし」という判決が出されたとスタジオに伝えられると、司会者のM氏は「えっ? 責任なし? 本当?」みたいな言い方で何度も確認。横に座っていた弁護士氏も「えっ? 本当? 信じられない?」みたいな事を繰り返して、何度も判決内容の確認をしている。その後のコメントは、180度自分の予想と異なる判決だったからか、どうも歯切れが悪いし、何かそう言う判断をした最高裁を責めているような感じにも聞こえます。例えば、訴訟をしている当事者の方の立場なら、最初から自分の期待する判断を信じるのは仕方ないと思うし、それが自然だと思うけれど、第三者が自分の勝手な思い込みを言う場合には注意が必要じゃないだろうか。しかも、それなりに影響力のある場面で、それなりに影響力のある立場の人が言う場合には。あくまで個人の考え、個人の意見と言えば何でも許されるのかもしれないけれど、でもそれを伝えるメディア少なくとも中立性とか公共性と言う事は常に要求されるんじゃないのか。となれば、コメンテーターが「A」という意見をしても、MCは「B」という意見も紹介しつつ、判決は尊重されるべきと言う立場はしっかり示さなきゃ。特に今回は最高裁による「統一判断」というかなり大きくて重要な判断だったわけですからね。
勿論、裁判だから、裁判官だから、いつも正しい判断が成されると言うわけでは無い事も事実。特に地方裁判では、「えっ?」と感じる判決も多くて、実際高等裁判所では判決が覆り、最高裁まで行って高裁判決が確定するというケースは結構有るような気がする。ただ、だからと言って最初から判決を決めつけることは一番やってはいけない事なのだから、その三審制や控訴する事も正しい判断を導くためのコスト何だろうけど。ところで、今回も裁判所前に集まって居るメディアに対して「違法判決」とか「国の責任認めず、暴挙!」とか書かれた紙を広げている人はいたんだろうか。あれも、視聴者や読者に対しての判断を歪める行為ですよね。あれって、判決を予想して事前に弁護士さんとかが準備をして置くらしいけれど、あの様子を映し出す場面を見る度に「裁判制度を冒涜している行為だよなぁ」と感じます。いゃ、当事者が記者会見とかで自分の思いや意見を言うのは問題無いと思うし、その時にああいう書き物で自分の気持ちを強調するならまだしも、裁判所の出入り口から走り出してきて画面に高々と見せつけるのは、明らかに「演出」でしょ? 今回の午後の情報番組は、それにさらに輪を掛けて自分達の意見・意志が通らなかった不満を恥ずかしげも無く表に出しているようでみっともなく感じました。それ故に、重い意味を持つ判決が凄く軽率に扱われたようにも感じますね。
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