2022年5月5日

個人のプライバシー

北海道知床の観光船事故は、まだ半数近くの方の安否が分からず、一刻も早い発見を祈りたいところ。また、まだ操作が始まったばかりではあるけれど、コスト削減、利益優先と言ったビジネスファーストのために、安全性の部分が削減されて、適切なリスク管理(天候・状況把握)もされていなかったことが、今回の事故の原因になった事は明らかなように思います。24名の乗客一人一人の命は比べられない大切な物だけれど、中にはこの船上でプロボーズを計画して居たカップルがいて、もしかしたら人生で最大の幸せな時間が来る直前にこんな事故に遭遇してしまったのかと、やりきれない気持ちに。

テレビの中で、そのカップルの男性の手紙が公開されていて、勿論この事件の後ではその内容は涙無くしては聴けない物なんだけれど、それとともに何で二人の間の記憶にして上げられないのかという疑問というか怒りみたいなものも感じます。既にご遺体が見つかっている男性が書いたラブレターなので、創造するにご両親が公開された物なのかなと。ご両親としては、せめて息子のあるいは二人の事を理解して貰いたいという気持ちもあるのだろうけど、仮に本人がもしこの状況を空の上から見ることが出来たとしたら、それを希望するのだろうか。邪推ではあるけれど、何か記事や番組に厚みを持たせたいメディア側が、「こんな手紙とか無いですか、公開して貰えませんか」と要求して、ああいう場面を「作った」ような気がしてならない。

もう一つ気になったのが、観光船会社の社長が、報道会見する前日に知人と電話で話しをしたという内容がテレビで流されているんですが、電話である以上盗聴でもしない限りああいう音声が保存出来るのは、社長本人以外ではその電話相手だけな訳で、その人はどう言うつもりで電話の内容を録音して公開したのだろうか。電話の内容って、「通信の秘密」に含まれるはずで、一方の意志だけでは公開出来ないものだと思うのだけれど。仮に、電話の相手側が何らかの意図があってメディアに提供したならば、それを公開するに当たってはその通話の相手側である会社社長の了解も得た上でないと、通信の秘密の暴露になり立派な憲法違反にも相当するのだと思うのだけれど、メディアはそう言う事を考えないのだろうか。まぁ、今に始まったことでは無く過去にも何度も同様の事はやっているので、メディア自体の意識が低いことは確かだと思いますが。

日頃「プライバシー」とか「個人の人権」みたいな事を言っているのに、こう言う事件やトラブルになったときには、簡単に反故にされてしまうのは今に始まったことでは無い話。視聴者や情報の受け手側も、より大きなインパクトを期待して、あるいはより感情的なストーリーを想像していることも事実で、その期待に答えないとメディアとしても商売が進まないので、互いにエスカレートしているのが現状。確かに、突然無念な事故に遭遇してしまった人の気持ちに寄り添うことはある意味鎮魂の気持ちにも繋がるかもしれないし、事件の原因や背景を詳しく知るためには、当事者の一人である会社社長の言動や行動を知る必要も有るでしょう。でも、メディアだから何でも許されているわけではないし、本当にそういう気持ちで取材をして報道しているかと言われれば、今のメディアは非常に大きな疑問符が付かざるを得ない。悲惨な事故は、その経験を生かして二度と同様の事故が発生しない対策のための重要な糧にしなくてはいけないけれど、今のメディアには客観的な報道でそう言う道筋を作る事よりも、寄り情緒的な話題を作る事が最優先で、その為には法律だろうが常識だろうが二の次と毎回感じられます。一刻も早く、残りの人達が家族の元に戻り、静かな日々が戻る事を祈ります。 

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