2022年4月21日

「はじめてのおつかい」論争

Netflixで「はじめてのおつかい」が"Old Enough"というタイトルで放送され、各国で話題になっているという話。英国での場合米国での場合が記事になっていますが、子供達の予想を超えた微笑ましい行動や、小さいながらも目的を達成した喜びなど、日本で放送されて日本人の多くが感じるような印象を受けたイギリス人アメリカ人も多かったようですが、やはり社会環境や考え方の違いから、子どもに対してのリスクを疑問視する意見も多いみたいで、それは当然だろうなと感じます。

日本の視聴者にとっては常識だろうけど、あの撮影時には周りに何十人というカメラ担当者や補助の人員が張り付いていて、引きの画で見ると結構な「大人」が介在している事が分かります。まぁ、だからこそこちらも安心してみることが出来るのは、幾ら平和で安全が売り物である日本でも万が一万万が一の場合を想定しないといけなから。なんせ相手は、まだ小学校にも上がっていないような子供達ですからね。で、それ故に何時もの違う雰囲気に気がついてしまい、撮影していることが子供達にばれてしまい、実際に放送できるようなケースは1割位らしく、それはそれで大変な仕事だなぁという気も。それでも、これだけの期間続いている人気コンテンツなのだから、まだまだにほんの社会も日本の人の気持ちも捨てたもんじゃないと再認識出来ることが、この番組の最大の魅力であり利益なのかも。

一方で、海外の殆どでは子どもは保護されるべき物で、一人で出歩かせたりする事は親の責任ばかりか、場合によっては地域の責任問題にもなることは、多少なりとも海外で生活したことがあれば先ず感じる日本との違いでは。海外赴任などで家族で引っ越した場合、つい日本の感覚で子どもを一寸一人で待たせたりして、トラブル報告されて大変な目に遭ったみたいな経験は、私の周りの人からも以前聞いたことがあります。誘拐とか虐待とか、社会的なリスクも、欧米では日本よりも高い気がするし、そもそもまだ一人で十分な判断が出来ない幼児・子どもを、保護者の管理外に出して自由に行動させることの基本的な認識が全く違う社会ですからね。Netflixで視聴している欧米人も、それが「日本での出来事」だからある程度納得して見ているのだろうけど、いざ自分達の国や地域で同じ事をするとなると、相当抵抗が大きいんじゃ無いだろうか。

個人的にちょっと疑問に思うのは、「はじめてのおつかい」の様に、子ども頃にお使いに出されることは自分達の世代等はそんなに珍しい事では無かった。共働きだったり、色々な理由から子どもも手伝いをすることは普通の事だったし、それで社会の仕組みなり人間関係みたいな物も養ったりする機会にもなったかもしれない。一方で欧米では、高校生になるくらいまでは親の保護下におかないといけないみたいな認識が一般的。でも、その後成人するくらいになると、日本人の方がどちらかというと内向的な集団的な性格になり、欧米の方が外向的な自分の主張をしっかりと表明するような人物形成されていきます。本当なら、子どもの頃から独り立ちしている日本人は、もっと自立した人格形成されると思うのだけれど、子どもの頃をピークにどんどん個性を失っているのが日本的な教育何じゃ無いだろうか。「はじめてのおつかい」の最後は、代替見事与えられたタスクを完了して、感激するご両親の涙と、何が何だか分からずぽかんとしている子どもの絵が見たいな対比で終わる気がしますが、最後が感動的だから故に、それ以降は逆に過保護になってしまうんじゃ無いだろうか。一方で欧米は、小さな頃は箱入り息子箱入り娘的に守るけれど、一定年齢に達すると多くの場合は個人の責任に任せる事で、一気に自立させる仕組みがあると感じます。どちらが良いのかは分からないけれど、最終的な状態を考えると、時期の早い遅い寄りは、必要な時に何を与えるのかが重要だと思う。そう言う意味では「はじめてのおつかい」は、コンテンツとしては有料だと思うけれど、教育というか成長と言う意味ではちょっと疑問を感じるものじゃ無いかと自分は思いますね。 

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