2021年12月28日

「知識人」の失墜

佐々木俊尚氏のnoteから、知識人の権威は何故失墜したのか、という話。有る業界、技術分野で世界的な発見や成功をした人が、その知名度を理由にメディアに出演することは悪いことでは無いと思うけれど、そこで専門外の話に関してコメントを求められると、往々にしてとんでもない解答をしてしまいガッカリするというのは、最近の有る有るの一つ。誰とは言わないけれど、「Mr. 知識人」みたいな感じで、数々の番組のMCを務めたり一見鋭く切り込む人も居れば、物理系のノーベル賞を獲得した科学者氏に門外漢の コロナ感染の話をさせたり、そこには「権威」の箔付けはあるけれど、有名人が話した事だから必ずしも正しい話では無いと言う事は、もう何度も経験したこと。

勿論、世界的に成功した人だからこそ、一般人よりは広く深い基礎知識を持っていることもあるだろうし、経験則なども豊かな物があるかもしれない。あるいは、有名人だからこそ人の繋がりも我々とは異なるレイヤーとの繋がりもあるだろうから、そこから得られる知見はまた異なる価値があるかもしれない。そう言う、一般的な人たちには持ち得ないようなものを上手く整理して伝えてくれることは良いことだと思うけれど、それで何でもかんでも解答がでるわけじゃ無い。幾ら科学技術に聡明で詳しい人であっても、政治的な人間的なドロドロしたような関係を説明するのはそぐわないでしょうし。また、その発言の場が「メディア」という「商業主義の上に構築された情報発信の場」というのも特殊性を生んでいると思う。これが、自分が自費出版などで自分の意見なり知識を公開することは、その人の責任で収まる話で、それがどんなに突拍子の無い話でも良くも悪くも責任は全てご本人の物。でも、メディアという舞台に立つ場合には、実はメディアが自分達にとって最大利益が生まれるように段取りしたいわけだから、必ずしも個人の意見が尊重されるわけじゃ無い。自分でそのメディア枠を買い取って使用するならまだしも、そうでは無い場面ではスポンサー利益やメディア利益が最優先される物。となれば、意見の優劣とか正誤よりも、どれだけ視聴者の興味を引けるかが彼らにとっての「付加価値」になるわけですからね。

現在メディア批判が大きくなっているのは、本来事実を伝えるべきメディアがそうなっていない事への批判も大きいと思うけれど、以前はメディアの情報伝達がイコール自分達の利益に繋がっていたものが、そうならないことが増えてきた事への不満も有るんじゃないかと。例えば所謂「リベラル」とか「反○〇(権力とか)」という勢力にメディアは肩入れをしたくなるけれど、実はそう言う存在が昔は「声なき多数は」として力は弱かったけれど数は多かったから、それを現在に投影しているんじゃ無いかという気がします。そこで一定数の数を獲得して一つの成果が生まれたのが、旧民主党政権の誕生と言って良いのでは。でも、SNSの発達やその旧民主党政権の失敗で、多くの人たちの目が覚めてしまい、それが段々とメディアや既存権力への批判に繋がっていき拡大しているように思います。そう言う状況の場合、本来ならば「正論には正論」で対応するのが情報提供者として正しい姿勢だと思うのだけれど、それをやってしまうと自らの不利が露呈してしまうし、実はそれすら出来ない程度の実力しか、実は今のメディアは持っていないのでは無いだろうか。だから彼らがよりどころにするというかせざるを得ないのは「知識人」というそれなりに社会的に箔付けされている権威を利用することだと。不思議なのは、例えば同じ理系の話ならば、コンピューターの世界的専門家であっても、機構系の話とか化学的な話等自分の専門外のことを恰も専門家づらして話をする事無いと思うのに、何故か社会的な話とか政治的な話、あるいは文系的な分野だと気軽に答える人が多いのは不思議。その点は、「知識人」と言われる側にとっても反省というか振り返りは必要なんじゃ無いだろうか。

あくまで個人的な感想ですが(笑)、同じ知識人でも理系の知識人が文系の話を語るときには、まま個人的感想に終始しがちなんですが、文系の所謂「知識人」の人達っていうのは最大限その立場を利用して自分達の権威構築に利用している節もあるなぁと思います。メディアにでることで知名度が上がるし、それによって自分の言説も箔付けされる。一種の「権威ロンダリング」が出来るから、ああいう人たちは積極的にメディア露出するんだろうか。ただし、余りに露出しすぎるとボロが出るリスクも大きくなるから、有る程度の箔付けが出来れば次にバトンタッチして自らはそれまでに築いた権威の上で商売が出来る、という仕組みが回っているようにも感じる。そう言う意味では、「知識人」なる名称は、以前は「知識豊富な思慮深い人」みたいな意味だったと思うけれど、最近では「自分の持っている知識を何百倍にも膨らませて多方面の話が出来る人」みたいな、肩書きに変わって来ているんじゃ無いだろうか。そう言う意味では「建築エコノミスト」とか「環境アクティビスト」とか、意味不明な横文字を絡めた肩書きを名乗る人ほど、信用できないというのは事実かも(笑)。「知識人」も、その範疇に含まれる時代になったと言って良いんでしょうね。

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