神田沙也加さんが、自殺と思われる行動で亡くなられたけれど、それを報道するメディアがちょっと変化したように感じられます。何かというと、以前はその衝撃差だけを伝えて煽るような内容が多かったけれど、今回の報道を見ている限りでは、かなり抑制的に報道されているように感じられるし、そのニュースの最後の相談窓口やケア情報を、これもやはりこれまでよりは丁寧な伝え方をしているように感じられます。
報道の役目を考えた場合、その情報を正確に早く伝えることだと思うけれど、どうしても脚色というか尾ひれが付いてしまう。また、意図的では無いにしても言葉の使い方言い方によっては、無意識にバイアスが掛かったような報道になる場合も多く、これまでの内容を見ていると、結局は刺激的に伝えて視聴者の興味=視聴率を稼ぎたいという意図なんだろうなあと感じていたもの。以前も、厚労省のケア情報等を伝える事はあっても、テロップでチラッと出して終わりみたいな感じで、あれは明らかにアリバイ工作と感じていたけれど、ここ数日みた限りでは結構ちゃんと配慮されていて、今回の件で刺激されて第二第三の犠牲者が出ないように配慮されているんだろうなぁと感じます。
その少し前に発生した、大阪での放火事件にしても、ここは心のケアをするための病院との事ですが、そう言う病気を治療していなくても、例えば一時的な不満が爆発して同様の行為に及ぶ可能性はあるでしょう。そう言う気持ちを励起させないためにも、大きな事件だからその内容は伝えるべきだとは思うけれど、もっと抑制的にかつ万一の場合の対処方法とか、同様に悩みから暴発寸前の人に対してのケアに時間を割くべきだと思う。ただ、こちらの事件に関しては、余り以前の報道姿勢と変わっていない気がします。その違いは、当事者の違いだろうか。方や両親も有名芸能人で、ご本人は有名な映画の吹き替えもやったほどの将来性を期待されたタレントさんで、もう一人は未だ詳細は不明な人物だったりするわけですし。
特に大阪の放火事件では、この手の取材の定番である「学生時代の友人評」とか「近所の評判」みたいな物を取材して報道するけれど、取材してそれを垂れ流しするだけでかえって視聴者の感情を逆撫でする効果しか無いと思う。「昔は良い人だった」と言えば「何かの切っ掛けで転落してこう言うことをやった」みたいな事を想像するだろうし、「昔から付き合いの悪い人」と言えば「だから、成長してもこう言うことをするんだ」みたいな、勝手な憶測が膨らむだけ。事件の発生した事実だけを伝えて、あとの発表は警察の捜査会見があってからその内容を元に冷静な報道をしないと、どんどん無関係な人も巻き込まれて行くような気がする。神田さんの事故にしても、「あれほど有名有能な人でも...」と落胆して、自らの命を絶つような絶望感に苛まれる人も出てくるだろうし。本当は、そう言う事を十分に検討して精査して責任を持って報道しないといけないけれど、今のメディアはそう言う事は一番おざなりにしますからね。そう言う意味では、事故・事故発生の第一報はメディアから聞いても良いけれど、その後の報道は正式発表なり裁判結果なりがでてからの方がいいきがする。それが今の報道・メディアの立場というか立ち位置ですね。
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