ディズニーの新作アニメ「ミラベルと魔法だらけの家」の主人公がメガネを掛けた少女と言う事で話題に。 メガネを掛けている9歳の少女の手紙が参考になって作られた物語との事で、メガネをコンプレックスと感じている少女が、自分の中の美しさを発見する冒険物語とのこと。私自身もメガネを使用して居るので、別にメガネがコンプレックスとは思わないけれど、人の感じ方や考えはそれぞれだからメガネ不要な人やコンタクトレンズを使用して居る人を羨ましく思ったり、自分は何でメガネを掛けているのか都、特に小さな子どもにとっては大きな問題と感じる事もあるでしょう。
で、美談として報じられているこのディズニーの新作アニメなんですが、ここで思い出すのがその少し前にネット出話題になった「B子プロジェクト」。縫製不良や汚れなどで、本来の商品として出荷出来ない商品を「B級品」とか呼びますが、B級タオルを活用しようというプロジェクトで、それを擬人化して「B子」が自分の欠点を克服するというイメージキャラクターが「女性を格付けしている」と批判されて、企画元が「B子」を取り下げたという話。私には、どちらも同じ種類の話に見えるのだけれど、ちょっと穿った見方をすると、ディズニーが取り上げれば「美談」になるし、一般企業が取り上げると重箱の隅を突いて「怪しからん」になるのなかぁ。
例えば問題の無い正規品の事を「S級品」と呼び、それに対して今のB級品に当たる製品を「A級品」と呼ぶ世界線があったとすると、今回のプロジェクトは「A子プロジェクト」と呼ばれることになります。この「A子」って、例えば「英子」さん「栄子」さんなど、実際にありそうな名前と同じ呼び方。となると「自分の名前が使われるのは不愉快無という人がいても、それは仕方ないなとは思います。でも「B子(ビーコ、ビィコ)」という名前は、多分それに比べたら殆ど無いと言って良いくらい珍しい名前な訳で、そう言う意味からも特定の女性や名称を対象にした物で無い事は明らか。タオルという商品では、汚れとかほつれとかは商品価値を下げる物だけれど、同じような事が人にあったら、それは問題では無く「個性」であり尊重するべき物。それならタオルだって、と言う考えは前向きだし、何ら批判されるようなことは無いと思う。ただし、こう言うことに難癖を付けることが目的の人を除いて、ですが。
「B子が規格外の意味で格付けしている」と言うのであれば、じゃぁ血液型の「A型、B型、O型、AB型」の「B型」は良いのか? よく血液売らないで「B型は~」と余り肯定的で無い性格の代表のように言われるけれど、それは良いのか? 大体、血液型で正確が決まることは科学的に説明されていないわけですし、そう言う科学的根拠も無いのにAだのBだの人を格付けのようにして居るわけだけれど、それは許されるのだろうか。そう言う根拠の無い事を理由に、例えば「B型の人は〇〇しちゃいけない」とか「××な性格」とか言ってしまえば、それは問題でしょう。でも、同じような意味でも「B型の人は自由奔放で、新しいアイデアを思いつく動機が大きい」と言われれば、それはポジティブな表現なので、同じ根拠の無い理由でも文句を言う人は少ないはず。ディズニーにしても、B子プロジェクトにしても、どちらもネガティブ要素と思われることを、実は個性であり特徴であると自信を持ってプラスに変えていることには変わりないと思うのに、なんでこんなに違うことを言われるのか。結局批判している人は、その本質ではなく、表面的な部分で評価するという、一番問題となる行為をしているからなんですよね。企業側としては、余計な摩擦は回避したいという事で、すでに「B子プロジェクト」なる部分は削除してしまったと思うけれど、結局それで得をしているのは理不尽な要求をして居る側なんですよね。そして、第二、第三の「B子」が生まれていく、と。ディズニーに「B子物語」とか作って貰ったら変わるかも。
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