2021年11月15日

何のための「脱炭素」

世界的に「脱炭素」が言われていて、その考え方には賛成するけれども、今のように火力発電や石炭発電がやり玉に挙げる一方、その代替策が太陽光発電を中心とした再生可能エネルギーというのも、現実を無視した考え方だと思うので賛成出来ない。「脱炭素」という言い方も、本来ならば「脱炭素(排出依存)」位の意味だと思うけれど、今は「脱炭素(発生社会)」みたいな使われ方をしているように感じます。そうなると、呼吸で炭酸ガスを排出する人を減らして、光合成する植物を増やそう、という事が正しい道筋にすらなりかねない。


再生可能エネルギーのうち、特に太陽光発電関しては何度も自分でも書き込んでいるし、東大震災直後のドタバタに紛れて今の状況があるとも間がしているので、今一度ちゃんと検証して行く必要があると思っています。特に個人的には不満というか不信感を抱いているのが、電気料金に上乗せされている「再生可能エネルギー賦課金」。私の毎月の電気代にも、1000円を超える金額が付加されていて、これが非常に不満。

本当に再生可能エネルギーとか太陽光発電が素晴らしく、また安価であるのならば、まずはこの賦課金を止めるべき。それによって、それら発電の電気代が上がるとしても、それはそれらの電気にタイしての「付加価値」なんだから、それを良しとする人が負担するべきでは。要するに、「無農薬野菜」を有り難がって価格が高くても購入する層があるのと同じだと思うんですよね。で、幾ら再生可能エネルギーが普及したとしても、太陽光発電では夜間や悪天候時には発電できないから代替手段が必要になるわけで、それには火力発電が必要になるわけで、決してゼロになるわけじゃ無い。特に太陽光発電に関しては、先の熱海での事故(事件?)も有ったように、大規模な施設が必要な故に、乱開発も進んでいて大きな社会問題にもなっています。また、東日本大震災後の太陽光バブルから10年が過ぎようとしてして、初期の太陽光発電施設=太陽光パネルの廃棄問題もこれから出てくるはずで、それも環境に対しての影響は大きいはず。

今回のコロナ禍では、対応出来る病院やベッド数の少なさが問題となったけれど、どんなことでも予め将来を想定して事前に準備するには限界があります。それでも、コロナ禍とか東日本大震災の停電とか一度経験すると、その為の対策を真剣に考えるようになるわけでは、それは良いことだと思う。太陽光発電や再生可能エネルギーを、だから増やすこと自体は良いことだと思うけれど、問題なのはそれが極端に走りすぎていることですよね。基本となるベース電源は安定供給できる様に準備するべきだし、再生可能エネルギーを増やすのであれば、それに対応した調整発電所もちゃんと整備して準備しないと利用出来ない。そう言う全体を俯瞰した視点から、良い・悪いという判断をするならまだしも、単に「地球温暖化、再生可能エネルギー、脱炭素」というスローガンだけ一人歩きしているのは、全く社会的には役立たない物だと思いますね。もっと冷静に、必要な事を話し合って決めて欲しい。

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