2021年9月25日

パラパラと多様性

現在進行中の、自民党総裁選立候補者の政策の違いを「ばらばら」と評する、立憲民主党の福山哲郎幹事長。自分達が政権与党だった旧民主党時代に言われたことの意趣返しと記事には書かれているけれど、「ばらばら」と「多様性」の違いじゃ無いかというのが、自分も含めたネットでの評価。

旧民主党時代は、それこそ自民党に近いような今の国民民主党系議員から、社民党と言って良いような議員まで、左右の振れ幅は自民党以上と言われていたわけで、そう言う意味では「最も多様性を持っていた政党」では有ったわけです。でも、「小沢傀儡政権」とも言われた(かな?)影のフィクサーみたいな存在もあって、そう言う多様的な発言や意見は収斂されずに、基本的にはトップダウンで政権運営が進められていた時代。国民の中には、長年の自民党政権に嫌気がさしていた時期でもあったので 、ある意味簡潔明瞭なトップダウン式の政権運営を好ましく感じる人も大きっ多様に記憶していますが、それってリーダーが優れていればの話で、現実は真逆だったことは今見直してみれば明らか。結局、いろいろな意見は出てくるものの、それらをまとめようという努力も無ければ、その中から良い物を取捨選択して行こうという考えや実行力も無かったから「ばらばら」と言われたわけですし。

確かに今の四候補の意見の中には、真逆な物も存在するだろうし、そこまでは行かなくても意見の違いが大きい物もあります。ただ、そんな中でも一旦政党として決めたならば、その方向に進み達成することに努力する、あるいは責任を持つくらいの「議員としての矜持」は持ち合わせているわけで、そこは「ばらばら」とは違う、もう一歩先の「多様性尊重」という言い方をしても良いんじゃ無いだろうか。その結論がいつも良いとか優れているわけでは無いけれど、多種多様な意見や考えをベースに、そこから色々な妥協や融通あるいは協調みたいなプロセスを経て、党として一旦決定したことはちゃんと実行して実現する、その点は自民党は「腐っても鯛」じゃ無いけれど、これまでの経験値の蓄積は大きいと思う。

ところで、毎日新聞のこの記事の最後で、

旧民主党政権は、政府・与党内の意思統一が取れていないとして、自民党から「ばらばら」との批判を受けた。福山氏の発言はかつての旧民主党への批判を逆手に取ったものとみられる。

と記者は書いているんですが、これってちょっと変な言い方なのでは。一つは、旧民主党政権が「ばらばら」と批判されたのは、統一された組織体である政府・与党内での意思統一が取れていないことを批判して言われたわけで、今のように力行者それぞれの意見や主張が違うのとは全く異なる状況での話し。実際、昨年の立憲民主党代表選挙の時だって、立候補した枝野幸男氏と泉健太氏の主張で異なる部分は色々あったわけで、それなら彼らだって「ばらばら」と言われても仕方の無いことに。もう一つは最後に「旧民主党への批判を逆手に取った」と書いているけれど、別に総裁選立候補者が当時の旧民主党を引き合いに出して話をしているわけじゃ無いので、逆手を取るにしても取る物が無い状態。単にこの記者が勝手に想像しているだけの話で、福山氏自身は当時の事なんか記憶していないのかも。自分達が「ばらばら」と言われてもいないし、今後立候補者の意見が「ばらばら」と言われることを想定して、「当時の民主党のように」と言われてしまうのは、この記者は当時の民主党が「ばらばらだった」ことを認めていることになるわけで、それを福山氏は受け入れるのだろうか。それって、今の総裁選を酷い状態と批判をすればするほど、当時の民主党政権もそれに負けないくらい酷かった、と自分達を否定する事になるように思うのですが。まぁ、そんなことまでは考えていない発言なんだろうけど。

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