2021年9月22日

ハッシュタグに踊らされる

まぁ、これも毎日新聞だからで終わりそうな話ですが、ハッシュタグで政権交代をという記事。 ハッシュタグは、SNSでの発信情報に対して、その属性を示す一種の記号というか符号なんですが、そこに統一的なタグを利用することで、バラバラに発信されている情報を一つの大きな塊に見せようという意図。

情報検索をするときには、その文章内容等から検索すると、同音異義語だったり内容によっては、反対の情報であったり別の意味だったりして効率が悪いのですが、ハッシュタグで適切なキーワードが指定されていると、そのタグを指定するだけで必要な情報に行き着くことが出来、非常に効率が良い。また、独創的なハッシュタグを使用して、あえて目立つようなことも可能なわけで、単に分類目的というだけでなく、情報に対しての厚みというか別の意味合いを付加するような事も出来るようになっている点が面白いと思います。

最近だと、兎に角そのハッシュタグの進出数を増やして、それを一定の勢力・声の大きさとして扱う「ハッシュタグデモ」とかよく分からない行動にもなっていますが、正直自分としては分類上の属性以外にはそれほど意味は持たないし、この記事で説明されているように本来の意図とは別の目的や意味合いで乱用されているのが、最近のハッシュタグだと思う。オンラインの署名騒動もそうだけれど、「ハッシュタグの数=賛同者数」みたいな勝手な解釈が浸透して、それを意図的に利用(悪用?)する事が大きな問題だと思う。一人で何度も投票・投稿できる行為が「公平」とか「平等」だとは思わないし、仮にそれが何十万、何百万集まっても、根本は数名程度の行動かもしれない。数字は大きくても中身はスカスカなのが、最近のこの手の行動だと思う。

SNSの時代だからSNSを活用する事は良いことだと思うし、リソース的に制限が大きい野党が活用する理由も理解出来ます。でも、それを伝えるメディアまでがそれに乗っかって行くのは、メディアとしてどうなんだろうか。メディアの使命というか役割としては、そう言う属性に惑わされずに本来の意味なり目的を自分達のフィルターを通して伝える事だと思うのに。仮に自民党が、同様にハッシュタグを活用していたら、同じように取り上げて行くのだろうか。それって、よくナチスの話で登場する「宣伝戦」そのものじゃ無いのだろうか。「ハッシュタグ」という新しいオモチャというか武器を見つけて、「これは良い」と喜んで使っているような印象というか様子が伺えるなあ。自分達が相手を操っているつもりで、実は自分達がハッシュタグに踊らされているように、外から見ていると感じますねぇ。

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