2021年9月29日

今が一番

佐々木俊尚氏の「佐々木俊尚の未来地図レポート」から、 『「江戸時代に戻れ」というが当時は森林が破壊されまくり、稲作も限界だった』という話。この話に凄く納得出来るのは、自分の実家(=今の住まい)周辺も、自分が子どもの頃は周りは一面田畑ばかりだったので、それなりに厳しい生活環境だったものが、校外の住宅街に開発されて、まだ田畑はそこそこ残るものの生活環境は激変した経験を実感しているから。

自分が子どもの頃、それこそ幼稚園に上がる前位のぎりぎり記憶にある位の頃は、自宅の周りは田圃ばかりの状態で、家の直ぐ横今も流れている用水路は、今はコンクリートで固定されているけれど、当時は地面を掘っただけの「川」みたいな状態で、大雨になると増水して自宅敷地側に流れ込んでくる時もあったし、時々は斜面が崩れて掘り起こしたりしたことも。また、周りの道路にしても、目の前に幹線道路は一応舗装されていたけれど、そこから一歩横道に入ると、砂利道だったり土を固めた道だったりが普通だったから、雨が降ると大変。なんせ、夏場になると自宅の中にも蛍が飛んでくる環境でしたからね。夕方から夜になると、外に出て田圃の周りを歩けば、数十匹レベルの蛍を見ることが出来たくらいの環境でしたから。ただ、畔にしても周りの水路系にしても、今のようにしっかりと固めて、かつU字管などで水路確保しているわけじゃないから、台風とか大雨の後は大変でした。稲作が全滅とは言わないまでも、倒れて締まって使い物にならないこともあったように記憶しています。

もう少し成長して、日本中で「公害」が問題になっていた時期。工業化が進み、自然破壊が問題になり、化石燃料を消費したために、大気汚染が蔓延して、川は汚れて生き物が消えて、と、今にして思うと野蛮の限りを尽くした時代。でも、高度経済成長の時代でもあったわけですよね。でも、あの頃に「江戸時代に戻れ」みたいな事は聞いた記憶は無いなぁ。自然回帰の傾向は多少は有ったかもしれないけれど、あの頃から地方から中心へという動きが活発化してきたように思います。その理由の一つは、都市部での労働力不足のために、地方からの就労が盛んだったから。当時は興行の中心は都心周辺だったから、人が地方から都市部に移動していたんですよね。今は安価な労働力を求めて、工場が地方に移動する時代になったけれど、当時は逆。考えてみたら、昔は流通にしても未発達だから集約しないと効率化出来なかったけれど、今は全国的に高速道路や鉄道網に航空網が張り巡らされているから、別に土地代の高い都市部に集約する必要も無い。これって、江戸時代の話に通じる部分じゃ無いだろうか。

当時は、「薪」以外の燃料無かったのだから、生えている木を伐採して乾燥させて燃やすしか燃料確保できなかったわけで、当然山間部はどんどん伐採されていく。一方で、多分今みたいな「植林」という考えも無いだろうから、伐採された場所に何十年後のために次の若木を準備することもないだろうし、そうなると遊牧民じゃ無いけれど気を求めて山を移動する事も普通だったかも。それに、運搬手段だって、今でも大型車両があっても大変なのに、当時は人力に牛や馬位しか無い時代だから、当然今以上に伐採可能地域も限定されるでしょう。川があれば、そこに落として筏流しする事は可能だろうけど、それだって山一つ超えるだけでも大変だろうし。それでも、その薪束一つで冬の暖が取れるとなれば、何とかするだろうし、当時の人海戦術でもどんどん山の木が伐採されてはげ山になるだろう事は簡単に想像出来ます。そこに、今の感覚で「当時は良かった」というのは、都合の良い幻想だと思う。「自然派」とか「エコ」を言う人の全てがそうだとは言わないけれど、そう言う生活中心の人も、例えばキャンプ機材だとか燃料だとか、今の技術や製造に助けられての部分も大きいですからね。そういう部分を無視して「昔は良かった」というのは幻想だと思う。重要なのは、本の30年位、40年位前には公害で日本中の自然が破壊されると言われていたけれど、その後の科学や技術はその問題を解決していて、日本は世界でも最も清潔で自然を取り戻した社会の一つと言っても良いくらいになってきていると思います。それでいて、江戸時代に比べてはるかに健康的で恵まれた生活を教授出来ているわけで、私は何があっても今から江戸時代所か自分が産まれた頃の時代にすら戻りたいとは思わない。ノスタルジーに浸りたい人は好きにやって頂いて結構だけれど、人に押しつけるのは止めてくれ、と言いたいなぁ。

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