メンタリィストのDaiGo氏の発言と、野球評論家の張本勲氏の発言。その内容も意図も異なるけれど、まぁ不適切な発言であったことは確か。そして、どちらも既に自分の発言に対して公に謝罪もしている。でも、世間のというか一部界隈の反応は雲泥の差。
DaiGo氏は、生配信で謝罪し、さらに2回目の謝罪もしているけれど、関係団体からの批判文が送られるなど、ある意味タレント生命の危機というか、酷い発言では人格否定までされている状況。確かに彼の発言は、ある意味優生思想みたいな物を背景にした発言で、また「メンタリスト」という人の心を読む・コントロールするという趣旨から言えば、正反対の行為をしたわけで、そこは批判されても仕方ない。ただ、以前から有るように、間違いを認めてもそれを許さず徹底的に高下する姿もどうかと思うわけです。既に謝罪して自分の発言も撤回しているのであれば、それはそこでいったん終了にするべきでは。勿論、また同じような発言や行動を将来したならば、その時には今回以上に批判されても文句は言えないだろうけど。
一方で張本勲氏は、日曜日の番組で謝罪文を女性アナウンサーが読み、張本氏が謝罪し、MCが一言言ってお終い。本来ならば、発言主の張本氏がちゃんと謝罪し、その場にいたMC氏始め参加者が何故張本氏の発言を直ぐに咎められなかったのかと言う事が重要だと思うけれど、その辺り何となく流れて終わった印象。で、番組の中では相変わらず「天晴れ!」とか言っているみたいだけれど、それって反省が無いと言われてても仕方ないような気がするんだけれど。あのくらいの年代の人なら、何となく言いそうな台詞ではあるし、本人もそんなに実は気にしていないのかもしれないけれど、仮にも公人に近い立場で公の放送の場で発言しているのだから、そこは発言の内容とは別にちゃんと言うべき事は説明して、それでも批判があるならばちゃんと対応するべき。でも、番組優先なのか、放送局優先なのか、DaiGo氏批判やその前の森元総理批判と比べて、あまりに軽い対応だった気がします。
今回の件も、多分そうだろうと思ってはいたけれど、結局批判する相手や対象が異なれば、その内容や批判の強さも違うんですよね。ある意味、本来は救われるべき弱者が、自分達の都合である種の道具に利用されているようにも感じます。人権問題とか、差別問題とか、重要だし色々考えて行動しなきゃいけない事も多いけれど、その「専門家」と言われるような人達の発言が、どうにもバイアスが感じられるだけに、素直に彼らの主張を受け入れられることは出来ないというか、疑問しか残らない。それって、そう言う問題だけで無く、例えば戦争反対というゴールは一つのはずなのに、そこに向けての主張や行動様式が違う団体が幾つも共存していたり、原子爆弾についても同様。結局、それぞれの思惑がありそれが相容れないから、複数の団体とか組織が乱立してくるわけで、今回の問題だって根は同様だと思うし、結局は放送局(TBS)という組織と、DaiGoと言う個人を天秤にかけてみたら、組織の方を守るべきと考える人達が、一層DaiGo氏批判を進めて自分達の行為を隠しているように感じるなぁ。 テレビ朝日のカラオケ問題だって、もうどこも扱わないし。
0 件のコメント:
コメントを投稿