2021年7月30日

理想と現実

「かえって混乱する」という理由で、事前の「五輪中止」主張を封印するという立憲民主党の枝野幸男代表。昨日の話の続きみたいな話で、まぁ格好は悪いけれど「回帰不能点(Point of No Return)」を通過してしまった以上、我々の主張が成立しない」とでも言えばまだしも、そこで余計な一言を入れちゃうからまたおかしな事に。 

「私たちは政権を担うべき政党として『あるべき論』と同時に、現実を冷静に見極めなければならない。」

確かに政党、あるいは政権として「こうしたい、こうあるべき社会」という一つのゴールを想定して、そこに向けて努力することが使命であり目的だと思うので、「あるべき論」を明らかにすることは良いと思うけれど、「現実を冷静に見極める」という事は、その目標に反しても現実優先で事を進めると言う事で、それって「妥協する」という事にもなるのでは。 本来ならば、多少の譲歩なりはあっても、「妥協」せずに自分達の目標到達のために努力するから、支持者も突くし応援してくれるのだと思うのだけれど。

別の言い方をすれば「理想と現実」なんですよね。で、彼らは旧民主党政権時代、その前の何年かも含めて「理想は言うけれど現実は無視していた」状態であったわけで、それが「政権与党」という「現実だけ」の状態になった途端に何も出来ない状態になった。その最たる一例が、沖縄の米軍基地問題だと思うし、東日本大震災時の対応の不味さだったり、とどめは消費税増税だったりするんじゃないかと。色々考えはあると思うけれど、やっぱり政治というのは「美味しい未来(=理想)」を見せつつ、でも「今日や明日を生きるため(=現実)」の事を先ず実施しないといけない。別の言い方をすれば、飴=理想、鞭=現実、何ですよね。それをどうバランスを取って国民の支持を維持していくかに毎日腐心しているんだろうけど。

例えば「一年延期した五輪は開催したい。しかし現状では中止という選択肢が一番のような状態では無いか。感染症対策どうする、入国制限の精度は十分なのか、デルタ株を始め新しい流行対策は準備出来ているのか」とか言えば、実状は兎も角現実を見極めた上でそれなりに責任を果たしているように見えると思うのだけれど。まぁ、それって単に「言い方だけの話」と突っ込まれそうだけれど、そう言う言い方が出来るかどうかもやっぱり政党としての資質というか力の一つじゃないかと。そう言う意味では、支持はしないけれど共産党の方が立場としては首尾一貫していて、政党の立ち位置としては立派な気がする。そう言う意味では、そう言う良くも悪くも筋を通すところは見習うべきだと思うけれど、野党共闘と言いつつも、結局は選挙互助会だし何故か自分達の方が強気に出ている不思議もあるし。「理想と現実」なら良いけれど「夢想と現実」にならないことを祈るばかり。

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