2021年7月20日

スポーツとしての大相撲

六場所の休場後に全勝優勝した横津な白鵬関。しかし、その取組の内容に関して「横綱の品位が」という声が出ているみたい。 スポーツの中で1対1の対抗競技は数多くあるけれど、大相撲の様に力士の順位付け(ランク)で対戦して、その地位も含めて評価される競技というのは、多分大相撲固有のものだと思うのですが、そこに「伝統儀式」なのか「スポーツ」なのかで、この白鵬関のスタイルも評価が分かれるのでは。

「横綱の品位」と言う人は、勿論大相撲の伝統やこれまでの歴史の積み重ねを重視した発言で、地位が高くなると言う事は、それだけ礼儀正しさや圧倒的な実力を備えるべきという意味が含まれているんでしょうね。だから大関ならば、一旦陥落しても再挑戦できるけれど、横綱は陥落して再挑戦と言う事は事実上許されなくて、引退するしか無い。それでも、横綱だから六場所も休場しても「横綱」の地位から陥落しないわけで、これが大関以下の地位ならば、どんどん下がっていって下手をすれば幕下以下に落ちることも有るんじゃ無いだろうか。日本の国技でもある大相撲だから、そう言うルールというか取り決めがある事は理解出来る。

一方で、1対1の対戦競技(スポーツ)として見た場合、15回の対戦で可能な限り多くの勝ち星を獲得する事が至上命題になるわけで、それは幕下だろうと三役だろうと横綱だろうと変わりない。地位に応じて、またその時の勝ち星に応じて、より強い相手との対戦が毎日組まれるので、勝ち続けることも厳しい勝負なわけで、それも他の競技では余り見た記憶の無いルール。そんな中で、何とかこの対戦に勝利しようと思えば、それがルール違反の組み手では論外ですが、認められている組み手であれば使って悪い事は無い。確かに、相撲の醍醐味はがっぷり四つに組んでの力勝負だと思うから、張り手とか猫騙しみたいな技を見ていて「流石」という気持ちは余り沸いてこないけれど、昔大きな体格の力士同士が張り手の応酬をして脳震盪みたいな状態になった取組があったと思うし、猫騙しも舞の海が現役の頃なんかは逆に好意的に取り上げられていた気もします。取組に勝利することを義務づけられている「横綱」が、その為に可能な限りの手段を繰り出すことと、そこに「品位」とか「格」という曖昧な概念を持ち込んで、制限することの妥当性は、事「スポーツ」の観点で見れば、私は無いと思う。

まぁ、白鵬関の場合、例えば「かち上げ」とはいえ、肘が相手の顔に入っている様な「エルボーチョップ」みたいなかなりグレーな取組も過去にあって、そういう部分はどうかと思うんですが、認められている「技」を繰り出すことは問題無いんじゃ無いだろうか。逆に対戦相手が、「まさか横綱が」とその奇策というか奇襲戦法に対応出来ない方が、厳しい言い方かもしれないけれど「油断」に近いものだと思う。相手は横綱とは言え、そんな奇策を繰り出さないと困るくらい窮地なんだから、そういう時こそ挑戦者として付け入るチャンスだと思うのだけれど。そう言う意味では、アメフトなんていかに相手を騙してボールを進めるか、時には力業、時にはフェイクプレー、知恵を絞ってプレーを考えるわけで、ある意味対極にあるような気もします。それでも、ガッツボーズにも文句を言われるのは、アメフトの「アンスポーツマンライクコンダクト(Unsportsman like Conduct)」と同じなんだけれど、これも本当にそのプレーに集中した結果であれば、私は有る程度の「余地」は許されて良いと思う。アメフトの場合も、プレーの遅延を意図した行為は反則が取られるけれど、最近では多少の事は取られなくなりましたからね。大相撲でも、片手を上げるガッツポーズは厳しいと思うけれど、気合いを入れる様な動作くらいは許されて良いんじゃ無いかと。大相撲ファンやスポーツファンは、そう言う「偽りない瞬間」みたいな事に対しての期待値も大きいと思うし。まぁ、大相撲が今回の様に「品位」と今後も言うのであれば、フィギュアスケートの「芸術点」みたいな「品位点」みたいなものを導入して、その点数での勝敗も決めれば良いのでは。同星だったら、品位点の高い方が勝ちとか。

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