IOCのバッハ会長が、東京2020開催のためには「日本人は犠牲を払う必要が有る」と言ったというニュース。 具体的にどう言う言い方をしたのか気になったので、Google先生に「IOC Bach Hockey」でお伺いを立てたところ、この記事が引っかかりました。で、「日本人は犠牲を」という話は、記事最後のBach会長の発言の、
"We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make thheir Olympic dreams come true," Bach said.
を指していると思います。確かに、ここだけ、特に最初の一文を読むと「我々は、これ(=東京2020)実現のために、某かの犠牲を払わなければならない」とも読めます。でも、少なくとも記事中のその前の部分を読むと、ちょっと意味が違ってくるように感じます。
直接の引用は範囲を超えるので控えますが、記事の前半は昨年から延期された東京五輪が、色々な困難は有るものの達成出来るという強いメッセージを出すべきというような、開催に対してのIOCの立場の説明と読めます。中段以降は、日本の立場や状況を説明していて、日本国民の多くは開催によって感染者が増えて、現在でも逼迫している医療状況が更に逼迫することを危惧している、と言うような説明をしています。それに対してバッハ会長が、
- 安全と安心は最優先されるべきもので、我々(IOC?)は日本の関係各位と協力して、安全な環境で選手が競技出来る事を確約しなければならない
- 70%以上のアスリートや役員がすでにワクチン接種を終えており、これは開催時期までにはさらに増加する。さらに、製薬会社三社からの協力も取り付けている
- そこで、注釈みたいな形で「IOC会長は、オリンピックドリーム達成のためには、各々が某かの犠牲を覚悟する必要がある」と一言入れてから、バッハ会長の言葉として
- 我々は、これ(=オリンピック開催、と言う意味でしょうね)を実現するためには、某かの犠牲を払わねばならない。(しかし)アスリートは、確実に彼らのオリンピックドリームの実現する事が出来る。
で、この記事を書いているうちに、この件を日本で報道した共同通信が英文記事を公開しています。内容を読むと、実際にバッハ会長の発言があった、国際ホッケー協会のオンラインインタビューでの取材ではなく、自分達の日本語記事の内容に合わせて、元の発言記事を再構成したような印象です。さらに、上記の「犠牲(=sacrifices)」を含む発言のみを取り上げていて、それしか彼が発言しなかったような印象を受ける内容になっています。しかも最後には、別の場所でのコーツ調整委員の発言を取り上げて、いかにも非常事態宣言下の日本の状況を無視してでも、日本で開催することに拘っている様な印象付けをしているようにも読めます。
今回物議を醸している「犠牲」という言葉ですが、オリジナルでは"sacrifice"で、これは「神にささげる生け贄」とか「犠牲的行為」とか言う意味。多分、宗教観の異なる日本人にとっては、理解しづらい概念じゃ無いだろうか。日本にも「人身御供」という言葉・行為があるけれど、日本の場合はそのものズバリ人間を犠牲にして何かを祈る(天変地異の平静とか)事だけれど、欧米の場合はよく山羊(Goat, 悪魔のシンボル的動物)が使われていて、どちらかというと、日本で言う「お供物」に近い気がする。だから、「犠牲」というと自分自身が何か代償を払わないといけない印象を受けますが、それも含めて何か別のこと、例えばワクチン接種とか、行動制限とか、そう言う「犠牲」は必要だけれど、それによって安全に開催出来る、というニュアンスを元記事のバッハ会長の言葉には感じます。元の英文でのインタビュー内容を、誰がどの様にして日本語にして共同通信の記事になったのか分からないけれど、これもメディア得意の「切り貼り報道」、"Cherry Picking"じゃないだろうか。
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